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4.50点 ( 2人中)
2007作品社大西 巨人, 鎌田 哲哉
自作に関する注釈以外では、中野重治に絡んだ話題がなかなかおもしろかったです。エロティシズムと絡むのですが、鎌田が『エロティシズムの主題系について「枯れる」という状態を拒絶する装置、事柄を真っ向から扱っていく装置が、大西さんの作品には本来的に内蔵されているんじゃないでしょうか』といい、続けて、中野の『斉藤茂吉ノート』にある箇所を引く。
『「みだれ髪」のエロティシズムは極めていじらしくはあるが、雌しべが粘液を分泌するような自然的な水準にしかない。だから、青年期が過ぎて欲求が消えれば課題自体が放棄される。でも茂吉の場合はそうではない。彼の感情の中には、自然と意識の直接的な関係だけでなく、この関係そのものに対する意識の抽象的な「関係」領域があり、その結果たとえ生理的な渇望が消失しても持続的に性の問題に取り組むほかなかった、というわけです。…僕はむしろ大西さんの小説に、中野が書いた茂吉的なエロティシズムを感じるんですね。』と続くのだけど、それに答えて、大西が『臼井吉見がこんなことを言っていたんだ。「中野重治にポルノを書かせたら、それに勝つものはいないだろう」と(笑)。そういうところはあったんじゃなかろうかと思う。』
と続く。
ウンウンそうだね~。嬉しいねえ。
しかし、「雌しべが粘液を分泌するような自然的な」ってのは凄い比喩だな。
その伝でいけば僕的には「非自然的に昇華されてなお雌しべ(男なんだけど^^;)が粘液を分泌するようなエロス」を備えるってのが理想かな~。人間の生は自然的と非自然的のアマルガムだとすればその現れであるところのエロティシズムも当然両方を含み、死ぬまで枯れない…はずか。
まあ現れだから、あくまでそれを目的にしてはいけないと思うんだけどね。まずは良く生きることで、それが実に難しいのだと、いうわけだ。