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3.82点 ( 93人中)
2007
にリファレンスのためのレビューを書いておいて…。
フランス映画とフェミニティの話題を出したからというわけでもないが、今日たまたま、都合30分ほど途中からTVで観た。それだけでも、印象的なシークエンス、役作りが見えて、これはいい映画だなと思った。
ちなみに、僕が「いい映画は1分観ればわかる」という暴論の持ち主であることは知ってる人は知ってるはず。だから「いい!」と思っても、最初から最後まで通して覩ることはまずなくて、平気で途中から観て平気で途中で観るのを止めてしまう。
大部分の人は映画や小説に対してラプラスの悪魔になる快感を求めているように見えるので、その欲求ゼロの僕の感想はまったくあてにならないだろう。
というのは、どっかにわかるように書いておいたほうがいいのかなあ? 『草枕』でも読んでてくれてれば「非人情です」で済むんだが。
まあ、それはそれとして…。
この映画の主要人物は三人、演技と描写がなかなか魅せる。
朴訥で暖かい灯台守イヴォン(フィリップ・トレトン)。 その妻マベ(サンドリーヌ・ボネール)。 戦争で片手を不自由にして島にやってきて灯台守の仕事につくアントワーヌ(グレゴリ・デランジェール)。
特に注目だったのがアントワーヌのグレゴリ・デランジェールで、不自由な手にはいつもギプスのようなものをしていて、肉体労働が主である島の男たちの中で、彼が「去勢男」の記号として働くことを示す。
従来、フランス映画の中では、そういう思慮深かったり、肉体の優位を獲得できない男は、ほとんど情けないイメージを持って描写されていたはず。プチ・ブルジョアのインテリの男も、様々な理由により女を得られない労働者階級の男も、去勢の挫折感を漂わせているのが普通。
ところが、このアントワーヌは島の男に、女性ばかりの缶詰工場で働くことになって「スカートがお似合いだな」と揶揄されても、あまり動じない。女性にも男としてウケがいい。表情や立ち居ふるまいは柔らかなんだけど、悪い意味で女性的、よく「女々しい」と言われるようなところがまったくない。男の僕から見ても思わず「いい男!」言いたくなるようなところがある。
ストーリーを読むと、その性格描写がこと男女関係にとどまらず、全体にうまく影響しているであろうことが想像されるのだが、全部見ていないので、それはわからない。
なんかフランス映画でめずらしくオスをさらしつついい男が出てるなあ、という感じ。 枯れた老人とかなら、いい男いるんだけど、これは珍しいんじゃないかなあ。
男らしさも女らしさもスポイルされてないから誰がみてもセクシーなのかな。 男が男性性も女性性もスポイルしないで生きるためには、社会的には去勢されていなければならない、というパラドクスを想像したくなる。 女が男性性も女性性もスポイルしないで生きるためには? 多分、社会的には、ほどよくうまく男性化しなければならないのかも知れない、とも思える。
ま、で、例のごとく、そのアントワーヌとマベが不倫に落ちるわけだが、マベのほうはフランスの美しく気丈で賢いところもある中年女性で、やっぱり魅力的。いってみれば、↑の女側のパラドクスに、そこそこうまく対応できているタイプに思える。
その夫のイヴォンも、観ていて、気がつくといつのまにか好感を持ってしまっているというような味がある。
監督のフィリップ・リオレは、もともと録音技師だったらしい。『読書する女』の録音技師、『パリ空港の人々』の監督。シーケンスが丁寧で「才能あるだろー」的なワザとらしさがなく(それやっていいのはゴダールとかブニュエルだけだっつーの)、観る人が自然と溶け込んで感じたり考えたりできる映像になっている。
見せたいのか見せたくないのか定かでない、変なおもしろいモンが写っちゃってる!という、映画的楽しさには欠けるものの、これはもう時代だからしょうがない、許そうと思う。
同じく、録音技師だから音には敏感なのかと思ったら、平気で劇中音楽でないBGMを使うし、それも僕的に減点対象だけど、逆に灯台でのアナログ・レコードなど、劇中音楽もきちんと使ってるし、BGMもそれほど邪魔ではないので、これも許そう。
2004年にできたということを考えれば、充分また観てみたいと思わせる映画だな。
で、上記三人以外に『ランチの女王』で言えば伊東美咲な、なんでこんなに可愛いのにフラれるんだ?ストーリーの都合で可哀そうじゃん!的な役所のブリジット(エミリー・デュケンヌ)も素敵。
ちと太り気味かも知れんが、島の民の役なんだから当然さね。 自転車に乗った後ろ姿がなんとも健康的な色気を感じさせた。