カントは極端に規則正しい人だった。
「…。早朝に起床し、少し研究した後、午前中は講義など大学の公務を行った。帰宅して、決まった道筋を決まった時間に散歩した。あまりに時間が正確なので、散歩の通り道にある家では、カントの姿を見て時計の狂いを直したと言われる。」 (Wikipediaより)
これは有名なエピソードだけれども、子供のときに読んで、なんかカッコいいなあと強く感じた。自分もそんな風になりたいと思ったのは、むしろその当時から規則正しさとは正反対の生活だったからかもしれない。
だいたい学校に行くのに毎朝同じ道を通ることさえ嫌だった。起きる時間も寝る時間も、昨日と同じだとむしろ時間をずらしたくなったものだ。
この性格は今に至るまで続いていて、毎日同じ場所に出勤して同じ仕事をする、というのは考えただけで気分が滅入ってくるし、実際そういうのは長続きしない。高校では一年ごとに通学手段を変えたし、電車通学のときは昨日と同じ時間の電車にはあまりのらなかったものだ。それでも、学校という生活上、毎日同じ、というような面も垣間見はしたが、むしろ、精神的健康には悪かったのではないかと思うw
しかし、そうでなければできない、あるいはするには規則正しさがあった方が便利、というようなことももちろん世の中にはある。たとえば、毎日何かをやる、と決めたら(たとえば一日一句俳句を作る、とか)、やはり生活全体がまったく不規則だと難しいだろうし、むしろ、その目的を遂行していくうちに、自然と習慣的というか規則的な部分が生活にも出てくるのではないだろうか。
毎日、同じ時間に起きて同じように支度をして、同じ時間と手順をかけて同じ駅から同じ電車に乗る、というような生活はどうなのだろう?と思う。
意外に、そういう生活をしている人は多いのだろうか。毎日同じ電車の同じ場所に乗っていると、隣の人、向かいの人もいつも同じだったりするのだろうか?同じ場所で休憩するとやはりいつも顔を合わせる人ができて、そのうち挨拶くらいは交わすようになるのだろうか?
なんだか、それらすべて、別世界のことのような気がする。
しかし、うんざりすることなく、そういうことをする、というような時期があれば、それはそれでまた違った知見を得られるかも知れないなあ。