元ネタを紹介したのでこちらも書かなきゃと思ってたが、 やらないうちに年が変わってしまいそうだ。
『土偶を読む』についての批判的論考。
『土偶を読む』を面白いし的確と書いてしまったが、どうやら面白いのは確かだが、 的確というのは浅はかだったなというところ。
本論著者も『「土偶は縄文時代の食用植物をかたどったフィギュアである」とは、 正直に言えば「その視点は面白い」である。 イコノロジーを出発点にすることも面白い』、 『「土偶=食物祭祀」という仮説を立てることに対してはなんの文句もない』 と書いてるようにアイデアが魅力的のは確かなのだが、個々の見立てについては 『この本で挙げられているデータは恣意的な部分が多いように感じる。 「イコノロジー×考古学」と銘打っているほどに考古学の視点があるのかは疑問』、 各論についての問題は『…を読んだけど』で詳しく指摘されていて、 なるほどそれはそうだなと自らの不明を恥じることに。
今回の場合イコノロジーと考古学の出会いは不幸な結果に終わりそうな感じだけど、 あらためていい感じの出会いが実現するとよいですな。
土偶はなんだったのか、とか前方後円墳の形は何を表してるか、 とか邪馬台国はどこにあったのかとか(これはちょっと違うかな)、 共有可能な形で自説を展開するのは難しいですわね。