主に紅葉ハンター2022年版。
住処が外秩父、一山西は未だ馴染なき秩父盆地、南は予て興味を持つ奥武蔵だが 秩父の荒川は北から関東平野へ出る。 なるほど、南または北回りでぐるっと巡れるかな?と地図を眺めると、 Google Mapsによれば道程91Km、時間にして2時間半程度、をを、なら行ってみるべさ、 というわけで。
今日はひとまず南巡りとしてこの辺りからハンター開始。
まずは、奥武蔵は古代の高麗郡におわす一〜二度来ている高麗神社へ。
なんか人が多いぞと思ったら、七五三なのね。
将軍標。 朝鮮半島の村落に見られる魔除けのための境界標とのこと。 確か高麗駅前にもあってそちらは以前気がついた。 ここにもあったっけ?と思ったが、2005年建立(っていうのか?)とあるので、 前に来たときにもあったはずだな。
高麗神社に祭られるのは高麗王若光でその子孫の高麗家が神社を守ってきた、 その住宅が残る。
十月桜が咲く。
高麗神社は出世開運の神として知られてるそうで、 境内の芳名板を眺めると戦前の総理大臣、政治家を始めとしてつい最近の芸能人まで、 知った名前がずらり。 それに絡んで目前の高麗川にかかる橋は出世橋というらしい。
ということで、高麗川だが ここは来る度に人の手が入ってこうなってるような気がしてならない。 その岩は本物か? まあいいんだが。
高麗王若光は朝鮮半島にあった高句麗の王族でおそらく高句麗滅亡に際して日本に移住、 相模にいたのではないかとの説があり、 716年に甲斐、駿河、相模、上総、下総、常陸、下野の高句麗人1799人をここに移して 高麗郡を創設した際に首長的存在となったと思われる。 ということで今に至るまで名を残すという由。
境内には水天宮もあり、水天宮は安徳天皇を祭る社というのも始めて知った。
隣には若光没後に菩提寺として建立された聖天院勝楽寺があって、 まだ行ったことがないのでこの機会に移動。 これはちと買ってみたくなる。
なかなかいいロケーションにある聖天院。
ん?雷門?
由緒を見ると、なんと、この門は江戸時代に浅草寺の雷門の模して作ったとのこと。 思わぬところで観音様の縁が…、 これも(高麗川→越辺川→)入間川(→荒川→隅田川)流域ということか。 観音様が網で引き曳げられたのは浅草あたりではなく上流の比企郡あたりではないか という説も思い出される。
こちらには高麗王若光の廟もある。
そのまま高麗川を遡ってトンネルを抜けて横瀬川沿いを下って秩父盆地へ。 高麗郡で思いの他時間が過ぎたので急いてしまったが、途中の吾野、芦ヶ久保辺りの 渓谷の紅葉は素晴しかった。 問題はちょいと車が停められるようなスペースが見つけにくかったこと、 ここならバイクの方がずっと便利だけど今さらバイクには乗れないかな…。
と、またGoogle Mapsを見ると、秩父盆地の西、荒川上流には 「奥秩父もみじ湖」なんてのがあるやないけ!
速攻寄り道決定で秩父往還を上る、 残念ながらだんだん日が暮れてきて綺麗な写真は撮れなんだが。 ポンコツ軽も車検直後もあるのか、調子よく走っとります。
さて、着いてみたら奥秩父もみじ湖は滝沢ダムという前にループ橋まである 立派なダムのダム湖なのだった。 これは知らなかった。 すでにすっかり日も暮れてナイトヴィジョンな写真になってしまった。
この後また秩父に戻り、初志貫徹ということで長瀞から荒川を離れて南に下って帰宅。 夜になってあまり様子はわからなかったが、 道程の距離感がわかっただけでもよしとしよう。 結局のところあまり紅葉ハンターの成果はなかったかな。 次回は逆に北から南に巡るかな。
他に気がついたことといえば…、
川が多いだけでなくダムも多い。 しかも、滝沢ダムは違うがほぼ街中と云っていいような所にも結構立派なダムがある。 ダム入門にもいい土地柄かも。
滝沢ダムに通じる道のさらに先をみると、雁坂トンネルという長いトンネルがあって、 なんとそこから山梨県の笛吹川上流に抜けられるらしい。 ここと奥多摩沿いの道を使うと、甲州街道、中央高速を使わずに往来道を変えて 巡ってこられるな。
これは是非とも雪の不安が出る前に山梨ほったらかし温泉あたりを目指して 走ってみたいもので。
で、あまりに色が綺麗なので一個買ってきた唐辛子、 ペペロンチーノに使ったら結構辛かった。 けどまあ家にある干したのと同じように使うことにしよう。