読書中であった。
尾張氏といえば、壬申の乱の際に大海人皇子を助けて勝利に導いたことが知られる。 七世紀の事だが、古代史における東海勢力については、近年考古学での土器の研究から かなり早い時期に勃興・伸長があったことがわかってきた。
本書は元々以前から展開されていた著者独特の史観の延長として、 その東海勢力と後の尾張氏の関係ついて論じたもの。
歴史作家らしく、その史観は事件レベルまで踏み込んだもので、 いきおい推測も多く、細部において俄には同意できないこともあるが、構造レベルにおいては 説得的な論が多い。
- 弥生時代後期、日本海側の勢力に影響されつつ、東海、主に伊勢湾沿岸地域を中心に文化圏が生れる(二世紀の初め〜)
- 東海系文化の東への伝播(二世紀終わり〜)
- 纏向を中心にした大和盆地への伝播(三世紀〜)
この纏向に進出した東海系が吉備・出雲の勢力と連合して後の大和王権となる勢力を形成し、 西日本の取り込みを行った。
これが、神功皇后の西征と帰還や神武天皇の東征の神話のもとになった、というシナリオにである。
このシナリオも興味深いが、もっぱら坂東の歴史が気にかかる身としては、 その古代史において東海勢力が如何にかかわったかを気にしつつ読んだ。
本書で述べられているように、土器や前方後方墳の分布からして今の関東地方の発展には 東海系の勢力のこの地方への進出が大きくあずかっており、毛野氏がその後進ではないかと 想像しているのだが、 近年の考古学の成果からは、その進出の時期が思ったより早かったとことが示唆される。
記紀から窺える大和の様子からは、その早さには違和感を覚えるが、大和が直接ではなく、 中間にある東海に大きな勢力があり、むしろそちらの動きが主だったと考えるとより納得しやすいのでは なかろうか。
大和が進出の主体だったとすると、それが可能になるのはせいぜい四世紀に入ってからではないか。 しかし、大和に王権が形成されてゆくのと並行して東海勢力の東への進出があったとすれば、 二世紀終わり頃にはそれがすでに始まっていたとしても不思議はない。
そして勢力を増大させた東海勢力を代表するのが尾張氏であり、だからこそ大海人は尾張氏を 味方につけて乱に勝利した、ということになるのだろう。
とはいえ、考古学からわかる東海勢力展開と、記紀を資料として尾張氏の歩みを跡づけ、 結びつけるのは、筆者も書くように簡単ではなく、多くの仮定が必要になるのは間違いなく、 その妥当性を評価するのはなかなかに難しい。
今の関東地方の古代を知るのに欠けたピースといえば、毛野氏の由来、鹿島・香取神宮の成り立ちなど あるが、少なくともそれらについても、より古い時代に遡って考えることになるだろう。