no+eでの連載。
「還流夢譚」の総タイトルのもと、以下の記事。
- 「ほんとうの仏教」という神話 その1
- 「ほんとうの仏教」という神話 その2
- 「ほんとうの仏教」という神話 その3
- 「ほんとうの仏教」という神話 その4
- 「近世仏教堕落論」という神話
- 「宗教」概念という近代の神話
- 「国家神道」という“戦後の”神話
- 「国家神道」という“戦後の”神話・Cパート
著者はナーガルージュナ(龍樹)が「推し」で、その「思想をめぐる諸問題について、素人なりに記して」いる とが、その過程で自分の仏教観を根本から修正する必要を感じたとのことで、このno+eを書くに至ったとの こと。
その内容が素晴らしい、多くの文献、論稿を検討しつつ、仏教、神道、さらにいえば「宗教」概念そのものを あらためて検証することになっている。
開国後、仏教や神道がキリスト教、特にプロテスタントをモデルにして、宗教としての形を 整えていったというのは、比較的よく知られていることと思うが、 ここではそれに留まらず、もともとのキリスト教、神智学、日本以外の仏教の歴史もしっかり検討して、 そもそもreligion=宗教自体がプロテスタント以降、近代になってから今考えられているような 概念として定着したというところまで述べられていて、 納得させられるところが多大。
しかし、ここのところ個人のno+eやWeb媒体で読めるまとまった論稿などで読みごたえあるものがみつかるように なって嬉しい限りだが、読むのが結構大変である。
で、続けて読んでいて感じるのは、やっぱり日本語を読むなら縦書きのほうが読みやすい、疲れ方が違う。
以下引用。
イギリスの宗教社会学者のグレイス・デイヴィー(1946-)は、現代のイギリス人のキリスト教との関わり方を、 「代行の宗教」(Vicarious Religion)と表現しています。 これはどういうことかというと、近年は教会に行かないイギリス人が多くなったけど、 彼らは教会なんかなくなっていいと思っているわけではなく、 牧師や神父がしっかり務めを果たしてくれているとなんだか落ちつくという心理があるというのです。 つまり、少数の牧師や神父が、多数派の「精神的重荷」を代わりに背負ってくれているというわけで、 ディヴィーはそれを「代行」と呼んだのです。 この「代行」が行われているがゆえに、 キリスト教離れが進んでも、教会は存続できているのだというのです[Davie 2007].