- 『 時のしずく 』 中井久夫
希有な精神医学者の2005年に出たエッセイ集。自らの研究歴や、先輩・同僚等へ向けた文章もあるが、阪神・淡路大震災での経験や文学(というより、読み/書きつつ考えること、とでもいえばいいか)についての文章が多い。
読んだばかりで拙速に自分の言葉を使う気にさせないような文章ばかり。著者の専門以外の領域で印象に残った部分を抜き書きする。精神医学にさほど親しんでいない人もこれらを読んで、彼の思索のテイストを感じていただければ。
困難な時代に頼れるのは家族が一番である。いざとなれば、それは増大するだろう。
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家族は親密性をもとにするが、それは狭い意味での性ではなくて、広い意味のエロスでよい。 同性でも、母子でも、他人でもよい。過去にけっこうあったことで、試験済みである。 「言うことなし」の親密性と家計の共通性と安全性があればよい。 家族が経済単位なのを心理学的家族論は忘れがちである
赤ん坊は、出産後数分、はっきりと眼が見え、それから深い眠りに入る。 眠りは記憶のために最良の定着液である。 しかし、今、最初に見るものは母親の顔ではない。 母親から愛情を引き出す、子供側の「リリーサー」(引き金)が損なわれている疑いを私は持っている。 いちど虐待がはじまると、ある確率で「虐待のスパイラル」に進む。 それは虐待された子どもは虐待する親に対して無表情になり眼だけは敏感に相手を読み取ろうとする 「フローズン・ウォッチフルネス」……である。 これは「不敵」な印象を与えてしまい、以下に恭順の意を示しても 「本心は違うだろう、面の皮をひんむいてやりたい」と次の虐待を誘い出す。 いじめの時にも同じことが起こる。
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虐待者に被虐待体験があれば、さらにそのような読み取りとなりやすいだろう。
明治以後になって、第二次大戦期までの父はしばしば、疑似一神教としての天皇を背後霊として子に臨んだ。戦前の父はしばしば政府の説く道徳を代弁したものだ。そのために、父は自分の意見を示さない人であった。自分の意見はあっても、子に語ると子を社会から疎外することになる――そういう配慮が、父を無口にし、社会の代弁者とした。日本の父が超自我として弱かったのは、そのためである。その弱さは子どもにもみえみえであった。
私はむろん同時通訳の能力はないが、外国語で患者を診察したり、学者と話し合ったことはある。 それは思い出の中では日本語、それも自然な日本語に変わっていることが多い。 その場面と相手の親しさの程度にふさわしい抑揚と話し方を持ち、敬語も適切な対話である。 同時通訳では瞬間的に起こることが、ゆっくりと起こっているのだ。
外国語の日本語訳を試みた経験でも似たことが起こった。 繰り返し原詩を読んで、暗唱に近いところまで近づけて放っておくと(なぜか完全に暗唱してしまってはいけない)、 ある時、偶然のように日本語の詩になって浮かび上がってくる。
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原詩を私の深部構造の桶に漬け込んで「発酵」させたというべきか。
文字は「手が覚える」ものである。 これは単なる図形記憶よりもはるかに大規模で、高度な脳活動である。 非漢字国民が図形として漢字を覚えるのはおおごとであり、そうして覚えた漢字はどこか妙である。 そして文が全体として一つの連続体であるという感覚がはっきりしなくなる。 ヴァレリーは詩を舞踏に、散文を歩行に例えたが、キーによる書字は、足の運びを単調なものにしてゆくだろう。
「隠れた人生がもっともよい人生である」と、フランスの哲学者デカルトは言って、 オランダの商業地域に住んで、町のざわめきを小鳥のさえずりとみなして独り思索していた。 うっかりスウェーデンの女王の招きに応じたのが運の尽きで、 北国の冬、朝五時から女王の相手をさせられて、肺炎になって死んだ。
(権力欲はサルにもあるが、知識欲は人間の人間であるもとであるとして)……、 新しいだけ知識欲はひ弱く、権力欲は古いだけしぶとい。 基本的な三大欲望という睡眠欲、食欲、性欲だって、権力欲の手段になりさがることが少なくない。
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三大欲望は満たされるとおのずとそれ以上求めなくなり、おだやかな満ち足りた感じに変わる。 ところが権力欲だけは満たされれば満たされるほど渇く。 そしてその手段になった他の欲望は楽しさ、満足感がみごとに消え失せる。
阪神間に育った者は東京に出て初めて 「欧米の近代的自我の欠如体としての日本人」としての自己と格闘している当時の東京の知識階級の、 青ざめて目のすわった自我と痩せて鋭い標準語と「小骨の多い」論理に遭遇する。 そして、東京世界においては前提である競争と競合と瑣末的な差異の重視とが、 ある時期の阪神間に育った者には最大の苦手である。 須賀さんの東京時代には登校拒否に近い時期があり、「学校の青い塔が焼けてしまったほうがいい」と 真剣に思う時期があった。 彼女はほとんど島流しに遇った感じを持ちながら生きていたようである。
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彼女も「阪神間」の引力圏内がもっとも「自分のもとにいる」と感じる人であった。