"cloud"は「雲、大群、集団、…」、"crowd"は「群集、観衆、群れ、…」。
今週は月初めの夜遊び週間なりとて、木曜は上野Doobie'sの"BlueSwing"セッション、金曜は歌舞伎町Golden Eggの"janmah 島村 Approximate jam session"(長いタイトルだなあ)へ。
Sessionとして謳っている方向性はそれぞれ違うが、自分としては、うまくやれたかなあと思うときの基準はあまり変わらない。
カタカナで書くと同じになっちゃう便利な日本語で書けば「クラウド」ができたと感じられるかどうか、というところ。
"cloud"と"crowd"は、おそらく語源的には同一なのではないかと想像するが(外れかも)、その意味するところをAnonymous的に同一化すると、「その中に居て時間と空間のひろがりを感じられる場所」ということになる。
その構成要素は、雲ならば水蒸気、群集ならば人間、音楽ならば音なわけだけど、どれも、ただ人間から見て無秩序に存在するだけならば(彼ら自身の秩序はともかくとして)、クラウドは感じられない。それらの動きが人間が認識できるある種の(いくつかある)システム的な動きをなぞった場合に、そこにクラウドが出現する。
とだけ書くと、観念論的な構えに読めるけど、そうじゃないです、とだけ書いておいて先に進む…。
出現したクラウドが聴いてる人にとって気持ちいいかどうか、はまた次の話なので、それも置いておくとして、クラウドが出来ているならば、多分何がしかの感興はあるだろう、として。
"Blues Session"と銘打たれてる場合はたいがい既成のBlues曲、でなければ、定型的なブルース進行(3コードだけじゃないにしても)をやるし、メンバーがステージに上がって、何も決めずに始めるようなフリーセッションでは、何が始まるかわからない。
だけども、音の群れを、4次元時空体(x, y, z, t)の存在を暗示するように並べるには、結局のところ、メロディ、リズム、ハーモニー、または音色、などなどの音楽的な要素をうまいこと按配してやる以外に方法はない。
その場によって、そのやり方が持つベクトルの方向は異なってくるのは確か。
既成の曲をやるときには、それをやるときのマナーがあって、それを外さない、あるいはより細部を追求することによってクラウドが生まれるが、そうでないときは出発点はいわば零度なので、まずは、メロディ、リズム、ハーモニー、音色に関して、より温度差を産むと思われるポテンシャルをどんどん投入していくということになる。
結果的には、それがいつかどこかにあった聴いたことのある音楽に似てくることもあるかもしれず、ないかもしれず。しかし、前に書いた「人間が認識できるある種の(いくつかある)システム的な動き」というのが、(少なくとも幾分かは)後天的なものである以上、投入作業およびその結果の認識には、その人を離れてあるさまざまな音楽が投影されることは当然である。
プラトン的でなくなるのはここ。
そんなことを考える夜遊び週間の終わりでした。
ブルース・フィーリングってのはこの「クラウド」のことかなあ、とか思ってみる。 とすると、ブルースを感知するシステムは、どこから我々にやってくるんでしょうねえ?