実家の近くに忘れられたような神社があった。 祠のような小さいものではなく、それなりな社殿と鳥居と社域なのだが、すでに地域とのつながりはほとんどなさそうというようなたたずまい。
最初にそこを見つけたのは近所を探検して遊んでいたときで(子供だからね)、住宅の間の道を進んでいくといきなり社殿の裏に出た。
それでよく行くようになったのだが、不思議だったのは、鳥居が集落もなにもない田んぼに向かって立ってたこと。確かに鳥居の前には道が横切ってはいるものの、どうも昔からあってよく使われていた道には思えない。
要するに、人間に背を向けて立っている神社に思えた。
はたと思い当たったのはいつのころだったか。
田んぼは台地に入りこんでくる低地に作られていて、そのどんづまりに神社があった。低地を逆に降りていくとどうなるか?紆余曲折はあるものの、かなり離れた場所にある天の川(という川があるんです、僕の田舎にはw)の低地につながり、さらには恋瀬川を経て霞ヶ浦に出ることができるのだった。
神社から少し低地を下った両岸の台地では僕も鏃や黒曜石のかけら等を拾ったことがある。
石器時代と神社ができる時代ではだいぶ違いがあるけど、今とは違ってかなり長い間低地には水が来ていて、人はそれに沿って生活していたのではないだろうか?
たとえば柴又の帝釈天は確か江戸川に背を向けて立っていると思った。 浅草寺は隅田川に平行しているが昔は海だったから海にせり出した場所だったのかもしれない。
田んぼになるような低地と台地の境にはたいがい道ができるから、その道に面して神社ができた、と考えることもできるが、違う考え方もできるのではないかなあ。