2008-07-07 07:45:00+09:00
日記 . mixi

[補遺] 阿部和重と四十八手 (十八禁?)

mixi日記から転載 id=861789759

(以下十八禁的な内容なのでその旨事前告知)

『プラスティック・ソウル / 阿部和重』のレヴューを書いた。

レビュー

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](http://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=2444430&id=452886)

プラスティック・ソウル

3.07点 ( 41人中)

2006講談社阿部 和重

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「言葉(主に名詞だけど)に対するこだわり方の姿勢等好感が持てるところ…」と書いたのはたとえば以下のようなこと。

本作の主人公アシダイチロウはヤマモトフジコという女性と同棲していて、日夜セックスに励む。いつもは「のぼりかけ」で行うのだが、ある日にかぎっては「小股はさみ」のほうがよいように思われたので「小股はさみ」で行っていた、というようなくだりがある。

セックスに励んでいるわりにはあまりそういう描写がなくて、むしろこの手の、命名され、分節化された概念の結果である名詞にこだわるところは、特に日本の小説家にはあまり見られなかった資質ではないか。

相手の女性を某有名女優と同じ「ヤマモトフジコ」と命名し、その名故に(「ゆえに」?)主人公が直ちに彼女に欲情する、といったような設定も、まあ、すでに「二十世紀的」と言ってもいいほどありきたりといえば言えるけども(プルーストを読め)、実際にそういった二十世紀的な(いや、二十世紀にあらためて発見された、かな?)言語的体験を思い起こさせてくれる小説があまりないのだから、やはり貴重といえるのではなかろうか。

今の日本ではそういう視点はすっかり蓮實重彦の専売特許となっていて、本作も1ページも読まないうちに蓮實かぶれが書いた小説だということはわかるのだけど、本人も蓮實ファンであることを隠しもせず公言してはばからないようなので、それはそれでよいだろうと思う。

どうやら、それができるのは阿部が地方出身者だからである、という評価が一般的なようだけど、それだけではなくて、それだけ世代が重なったということではないかとも思う。僕の世代くらいまでならば、いくら地方出身者でも、これはこっぱずかしくてできないのでは?というのが実感。

それはともかく、ちょっとやられたなと思ったのは、「のぼりかけ」「小股はさみ」という体位選択。

僕自身は、命名して分類するという概念化の作業には常にアンヴィヴァレンツを感じる。名前を発見し、その名前で通じ合えることを発見するのは喜びだが、それを一瞬の自己から引き離して定着させようとする行為には、必ず、いくばくかは権力意思がはたらくと思っているから。言葉を豊かにする行為は、常に、この「しなければいけないがしてはいけないこと」と背中合わせだと感じるゆえ、たとえば、四十八手という分類表にもアンヴィヴァレンツを感じ、したがって、そういう分類があることも知っているし、その中のいくつかは即座に名前を思い出すことさえできるものの、すべてをそらんじることが苦もなくできるような存在であってはならないという、羞恥といってもいい抵抗ゆえ、曖昧な知識のまますませており(蓮實調になってきたなw)、くだんの二体位も「ああ、四十八手から持ってきたんだね。なかなかじゃん」というだけでそのときはすませていたのだった。

しかし、後で、ほんとにそんな体位あったっけ?と思い当たってちょっと調べてみたら、これが、ないんだね。

はて、ということはこの体位は阿部の創作か?だとしたらなかなかやるな。いや、もしかしてセックスの描写にわざともとの相撲の決まり手名称を使って知らんぷりしてるのか?

だいたい四十八手といっても裏表とかあって、通常人口に膾炙しているのは以下の九十六手あたりだろうと思う。

・色好み四十八手の裏表 【性交体位の画像一覧・やり方と特色】

http://www.best48.com/96thumbs.html

しかし、見るとおり、ここには「のぼりかけ」も「小股はさみ」もない。

さらに調べてみると、こんなところに「のぼりかけ」があった。

・マジカルアートシート スケルトンバージョン ロングサイズ フレアブルー

http://www.hasepro.com/hasekeitai/public_html/item/ha24/10/HA2410N002.htm

四十八手にもいくつかバージョン違いがあって、あまり流通していないセットの中にある体位なのね。

ちなみに「小股はさみ」はこちら

・四十八手解説サイト 愛の48手 Pose Of LOVE! - 第18手 - 唐竹割り

http://lovepose48.com/2007/03/18.html

両者が比較的近い体位であるところに、作者の真面目な意図を感じることができないでもないけどw

朝にふさわしくない話題が終わらないな。

で、まあ、戻ると、こういう方向の言葉に対する偏愛、というのは、必要だろうとは思う。しかし、それがあればあるほど、一方で、意味するものとされるもののネットワークが固定化することや、あるいは固定化しようとする意思の存在に敏感でなければいけないのではないか。「プラスティック・ソウル」からは、その辺の意識があるのかどうか、あるいは、固定化しようとするネットワークをそのつど脱臼させ、転覆させようとする意思を感じることがあまりなかったように思った。

もっとも、こういうこと自体、田舎の高校生なみに蓮實チックな感想ではあるな。

まあ、『陥没地帯』よりはおもしろかったかな?w でもどっちを持ち上げたいかとなると微妙だな。

ところで「のぼりかけ」は相撲の決まり手にもあるようです。 もっとも「のぼりかけ」じゃなくて「のぼりがけ」なんですが。

http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~tsubota/waza/wazan.html

うーむ、似ているような似ていないような…。