2008-08-30 12:39:00+09:00
日記 . mixi

サザン活動休止はロックの葬送を葬送するか

mixi日記から転載 id=917716368

タイトルが気取ってて馬鹿馬鹿しく、さらに、こう書くといかにも僕がかつての「ロック」なるものに肩入れしてるように読めてちょっと嫌なのだけど、まあそれはそれとして。

サザンオールスターズが自分を鼓舞してくれる存在だったのは、僕の場合は、デビューから"Five Rock Show"のシングル連作くらいまで。"ステレオ太陽族"の時点では完全にバンドとしては興味を失っていた。

売れてるものには興味が湧かない癖、というのは、この場合あてはまらないと思う。その前からそれなりに売れていたわけだし。何か、その前はこいつらこれからどこに行くんだろう?うまくいくのかいかないのか?という感じが紛々としていたのが、あまり落ち着いて欲しくないところにすっぽり落ち着いたな、と感じて、かなりはっきり「あ、終わったなこいつら」と思ったのを覚えている。

もちろん桑田自身の才能が枯れたわけではなくて、今にいたるまで素晴らしい曲を書いて歌っているのだけど、それがなんというか、むしろ世界に望ましく(ってなんだ?)コミットする力を失っているという感じがして、そういう曲を聴いても何か虚しさの方が先に立つ、という感じがしてしまう。

かつて、桑田はMCでよく、"We are Japanese domestic No.1 band!"という台詞を叫んでいた。その台詞がいかにも焦燥を感じさせるところが好きだった。もちろん、"domestic"を、さらには"Japanese"をも外してしまいたい、という気持ちは音楽から伝わってきたわけだし、また一方で日本の音楽産業の市場にどんどん組み込まれていくという雰囲気もどんどん濃厚になってきていたし。

その僕のサザン離れが腑に落ちたように思えたのはかなり後になってから、多分Rockin' Onに掲載された桑田のインタビューを読んだときで、そこには"Five Rock Show"から"Kamakura"にいたる時期、どんどんと煮詰まっていったこと、その中で海外進出をあきらめたこと、などが告白されていて、なるほど、やっぱりそういうことだったのか、という気がした。

この感じはたとえば松任谷由美なんかにも共通するところがある。活動はハイ・クオリティなんだけど、何か思いは別のところにあるというか。まあ簡単に言えば「お仕事」ということなんだけども、それはある意味では、この世代になってそれなりに音楽が国内産業として立ち上がったということでもあるだろう。

彼らの上の世代にすれば、国内市場は無きに等しく、だからこそ、はっぴぃえんどにしろミカバンドにしろ四人囃子にしろ、国内のさまざまな面倒に引っかからずに音楽を作れたし、それは不毛感もあったかも知れないが、音楽は確かに世界的同時性の中で奏でられていたと思う。それは、音楽だけが残った今こそ実感される。

しかし、その下の世代になると、まず国内産業がはっきり目に入ってくることになり、さてその次は、みたいなスタンスのほうがなぜか当たり前になったように思う。これは、国内だけでなく、70年代に入って世界的に急速にロックが産業化されたこととも関連しているはずなんだけど、それは置いといて。

それに加えて、サザンというバンドは桑田あってのものだけども、public imageとしてはバンド全員が揃っていなければならず、それが要求されるファミリーや共同体のモデルとしてとてもハマり、そこも含めて受け入れられるという、不思議な存在であったし、桑田自身がどうもそういう幻想に感染して、身動きが取れなくなっているようなところも見受けられる。

そのこともあり、彼のドメスティック宣言がさらにリアリティを増したのかもしれない。

その後の資本主義のさらなる世界化および日本のそこへのコミットメントの増大によってそういう回路も変化してきたけれど、マスメディアを舞台とした音楽産業の世界では、どんどん鎖国化、閉塞化が進んだという感が強い。その中で"No.1 Band"でありつづけたサザンに興味がもてないのも、まあ当然といえば当然だろう。

その総体の中で、ときどきおもしろいものが出てくるとすれば、ロックがあくまでマスメディアを通して分配されるということに自覚的な人(「トランジスタ・ラジオ」RCサクセション)か、多分、それ以前から(もしかしたら戦前から?)マスメディアとはあまり関係ない回路でたまたま繋がっていた人(憂歌団)だけである、という状況が続く。

一方でしかし、進行する資本主義の世界化はとりあえずマスメディアを経由しなくても、なんとなく個人個人でそこで繋がった回路を通って、横に活動するような人もちらほら産み出すようになる。僕は詳しくは追いかけていないけれど少年ナイフとか、ギターウルフなんかはそんな感じがするし、ベテランでも逆に国内でシェアがない人が自由に横断して、しかしそれはマスメディアとは関係ない、というような状況が今ではないかと思う。

多分、今のような形での音楽産業は早晩終わりを告げる。

トランジスタラジオでthe Beatles、Hi-FI setでLed Zeppelinというように、再生機器とマスメディアの進展にしたがって移り変わってきたのがロックだが、コミュニケーションの形態としては複製という形式は生きながらえるかもしれないが、マスメディアという流通形態はすでに限界が見えていると、僕は考える。

サザンの30周年記念ライブで、桑田はMCで「自信を持って新作を聴かせられるようになったら、また戻ってくるからね」と喋ったらしい。ということは、今は自信がない、ということだろう。僕としてはその「自信」が"No.1 Japanese domestic band"としてのものなのか、単にバンドとしてのものなのか、それが、とても気になった。

多分リスナーには、その自信のなさじたいが唐突に写るだろうし、戻ってくるとしたらやはり"No.1 Japanese Domestic Band"の復活を期待するだろう。

しかし僕としては、もし活動再開するとしたら、かつて強烈に見せてくれた才能ゆえの焦燥の焼け焦げた匂いを、少しでいいからかいでみたいと思う。

70年代からLive Aidの時代、ロックは終わった。

しかし、ロックが終わった時代が終わることもあるのではないか。

サザンオールスターズという、まさに日本ではロックから生まれた最良に属する才能の活動休止が、そのロックの終焉の終焉の象徴になるのだろうか、なれば…。