2008-11-15 17:52:00+09:00
日記 . mixi

[補遺] 磯崎新の「都庁」 戦後日本最大のコンペ / 平松剛

mixi日記から転載 id=995287631

レビューを書いたので補遺。

・磯崎新の「都庁」―戦後日本最大のコンペ

レビュー

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磯崎新の「都庁」―戦後日本最大のコンペ

4.29点 ( 57人中)

平松 剛文藝春秋2008年6月

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丹下健三と磯崎新。丹下は代々木オリンピックプール、磯崎はつくばセンタービル、および、建築に関するいくつかの論稿を通して、いろいろ思いをいたす存在。磯崎の「一時丹下研究室に籍をおいた」との発言は読んでいたので、関係があるのは知っていたが、丹下の葬儀で磯崎が弔辞を読むほどの関係だったとは思わなかった。

しかし、本書を読み、そう考えると、彼らの「建築」についても、さらにいくつか腑に落ちるところができたように思う。

丹下の死去時に、書いた文章があるが、載せたブログがなくなっているので転載して、まずはここから思いつくままに。

――― TITLE: 丹下健三 DATE: 03/22/2005 10:22:03 PM BODY: 22日午前2時8分、亡くなった、とのこと。

東京カテドラル聖マリア大聖堂、大阪万博お祭り広場、赤坂プリンスホテル新館、東京都新都庁舎、フジテレビ本社ビル…と並べてみると、なんとまあ、僕とは縁がない趣味のことよ。特に赤坂プリンスの新館など、たまたま建ったときに隣のホテルでバイトしてたこともあり、覗きにはいったものの、いや、なんだか、でっかいばかりの安っぽい建物だな~ケーキもまずいし、と、げっそりして帰ったのを覚えている(ケーキは建築家と関係ないけどさ)。まあ、当時の世の雰囲気にはなかなか合っていたんだけども、別に時代といわずとも、彼の建築はそれこそ戦前から同じ路線だったといえばいえて、そのあまりさに、カンプを見て一瞬言葉を失った(単純に国策協力だのどうのというレベルでなくて)「大東亜建設記念造営計画」案なんかの頃から変わってないのだろうな。

このカンプを見たのは某雑誌の挿絵で、今それが手元になく、まさかあるだろうと思って、ぐぐってみたら、見つからないな。彼の業績紹介が広島記念公園あたりから始まっちゃうのは絶対変だな、と思ったりもするが、まあ見れないものは仕方ないか。

しかし、そんな僕でも、おそらく死ぬまで記憶するであろう彼の作品というのが一つある。国立屋内総合競技場。国立代々木競技場、いや、代々木オリンピックプールといった方が僕にはしっくりくるのだが、生まれて数年で離れた下町とは違う東京、というと、この建物とそこから見える渋谷、原宿方面の風景が、いつも真っ先に頭に浮かぶ。成人する頃から今まで何度となく訪れたり、通り抜けたりしているのだけど、いつも何か期待させるような、それでいて切ないというか、虚しいというか、不思議な感覚にとらわれる。そこに立っていると、その建物と目の前にある街がまだなかった頃、あるいは、いつかそれがなくなる時の光景はどうだったのか、おそらくこの丘はなくならないかも知れないが、この建物はいつかなくなるんだ、といったようなことを思わずにはいられないのだった。必ずしも苦痛ばかりでもないのだが。思うにそれには、多分、完成された作品なのではあろう、が、やはりまず巨大で空虚、といった感じが先に立つあの室内競技場の佇まいが、強く影響しているのではないかと思う。まあ、ともあれ、合掌。

―――

代々木オリンピックプールに僕が抱く感覚、ここでははっきり書かなかったが、一般的な言葉で言えば「崇高(sublime)」だとは思っていた。正確に言えば、世にsublimeといわれる対象に対しての自分の感じ方がこれだ、ということである。そして、ここで書ききれてもいないことは、この建物はいつかなくなるにしても、なくならない丘にはその廃墟、あるいは痕跡は残るだろうということ。そのイメージはたとえばストーンヘンジのようなものだといえばいいか。

高度経済成長期以降の丹下の建築には、巨大なことはあいかわらず巨大だが、むしろそういう感覚は減少する印象がある。おもに使用する部材の変化によるように思うが。

一方、磯崎の建築は建ちながらすでに廃墟を志向しているといえなくもない。つくばセンタービルでは、ポストモダンの衣裳をちりばめたといわれるわりには錯乱した印象がない建物群に囲まれた陥没した広場がある。その陥没を下に見る通路=広場にはタイルが敷き詰められ植栽されているのだが、その平面ははっきり湾曲していて、平らに作られてはいない。

僕は最初それを見たとき工事の後で凸凹になったのかと思っていたのだが、考えてみればそんなこともあるはずはなく、わざわざ凸凹に作ったのだろう。

その磯崎が本書で丹下の建築に対して否応なく感じたという強い印象、

『 広島平和会館原爆記念陳列館、いわゆる原爆資料館は、…、コンクリートの軀体が打ち上がった後、まともに仕上げもされないまま放置されていた。爆心地だった敷地は、いずれ公園として図面どおりに整地されるのだが、磯崎が訪れた当時、そこはまだ荒れ放題の墓地だった。 乱雑に墓碑が立ち並ぶ荒涼とした焦土の中に巨大なコンクリートの塊が鎮座している。 「建築」という言葉が漂わせる整然とした秩序などとは無縁の物体だ。未完成のその建物が、磯崎には、むしろすでに朽ち果てつつある廃墟のごとく感じられた。そして、その感覚は、彼がもともと裡に持っていた原風景と、どこか触れ合うところがあったのだろう。強く印象づけられた。 』

とあるが、これこそまさに「崇高」に触れた「近代人」の感覚であると思える。建築に整然とした秩序の実現を志向し、しかしそれがあくまで人間によるものである以上、いつかは崩壊せざるを得ないという予感を常に持つこと。磯崎はその感覚を持ちながら仕事をしたゆえに、自身は崇高への鋭い感性をもちながら、現実にはそれとは違う印象を与える作品を作ることになったのではないかと思う。

一方、丹下のほうがむしろ崇高をもっとナイーブに捉えていたように思われる。彼は彼が理想と考える建物が建てばそれでよく、それが長い年月を経てどうなるか、その場所が刻々無に向かう、というようなことは考えなかったのではないか。そうでなければ、彼が得意とした都市計画、軸線をもとにした巨大建築なんて、馬鹿馬鹿しくてやっていられないだろう。

しかし、実際に建ってみると、そこから強烈に崇高な印象を発するのは磯崎よりも丹下のほうであるというのが、まさにロマンテック・アイロニーなのかも知れない。磯崎が丹下の作品に対して語る印象もそれを裏付ける。

磯崎のポストモダン的(といちおう一般には言われているところの)日本文化の歴史的パースペクティヴによれば、日本の文化は外圧による暴力的な海外からの輸入により、それ以前との切断が起きるが、外圧がなくなるとともに、そこにある秩序や構築といった要素が解体されて、いわく言いがたい小ぢんまりしたある雰囲気に解消されていく、これを「和様化」というが、丹下の前世代である前川國男も入れてこれを適用すると、前川が輸入し、丹下が日本化して総合した、といえるのかもしれない。その次の磯崎自身はどうするのか、という問題があったのではないかと思う。

しかし、単純に磯崎パースペクティヴを適用すると、実はこの流れとはずれる部分が出てくるのではないかと思う。彼自身は、おそらく外国から来て、鎌倉時代の東大寺再建を行った重源へのシンパシーを再三表明していて、そこに現れるあらゆるものから突出した造形の意思とでもいうべきものを「デミウルゴス」と名づけるが、近代建築の流れでいえば、その線でいけば、デミウルゴスは前川にこそ見られなければならないものだということにはならないか。丹下の建築は単純化すれば和様化の始まりとなるはず。なのだが、実際の印象から言えば、デミウルゴスと呼ばれるべきは間違いなく丹下のほうだろうと思う。

しかし、おそらく磯崎自身はそんなことは百も承知であって、たとえば絵画で言えば岸田劉生に対する意見などを見ても、開国以降の日本においてはいわばデミウルゴス出現が若干後ろにずれている、という意識はあるだろうと思う。

丹下の建築に関しては、それとは違ったよりフォーマリスティックに見える分析、類稀なスケールやプロポーションに関する感覚、というような形で言及して、破綻を逃れているようにも思える。

この辺あまりすっきりとまとめることはできないのだが、前衛と呼ばれ、建築について様々刺激的(というよりも外部の人間からすれば、ごく当たり前のことを当たり前にいった、というようにむしろ思えないこともないが)な論稿を残した磯崎であっても、建築を作品として捉え、さらにはそれがいかにも近代西欧出自の「芸術」にふさわしく、視覚の美意識を優位に置くパラダイムの延長上にあるのだなという気がしてくる。

本書は、建築家レム・コールハースが来日時に、フジテレビ本社ビルを見て磯崎に「お前の都庁があそこに建っているじゃないか」といい、磯崎が「いやあれは丹下先生の仕事だ」と返すエピソードで終わっている。磯崎の都庁案は低層ビルをベースにした意欲的なものだが、廃墟を思わせるsublimeな造形感覚を、磯崎は思った以上に受け継いでいるのかもしれないと思う。それに疑いを持たなかったとしたら、つくばセンタービルのような建物は建たなかったのかもしれないが、今から振り返ってみると、視覚の美意識を優位に置いた「モニュメント」としての建築、という枠組みからいかにして逃れるか、という問題設定が必要だったのではないかと僕には思える。

まあ、しかし、モニュメント、権力装置としての建築は、建築家がそう望んだだけでは建つものではない。結局のところ社会がそれを望むという前提があるから、次から次へと巨大な墓石のようなビルが建つわけだ。かりに建築を「芸術」と呼ぶとするなら、ここでもまさに「生活や生命のなかに如何に芸術を埋め込むか」という問題が横たわっているということなのかもしれない。

代々木オリンピックプールは美しく崇高である。しかし、それが求められる全てかといえば、そうでなく、本来もっと考えなければならない要素が多々あるわけだ。建築の(視覚的)美しさが、それらを閑却したところに存在しているのかもしれない、という疑問を封殺しなくても自然に接することができる建築の概念こそ、求められているのではなかろうか。

そこにはデミウルゴスははっきり目に見える形では現れないだろう、が、見えなくとも、あるいは、ミクロに偏在する形で見えるような行き方もないだろうか、と思う。そこでは美や崇高は一瞬の中に閉じ込められた永遠のような姿で現れるだろうと思う。

そう、これは多分「永遠」に関する問題だと僕には思える。ランボーが書いたあの永遠。

霜降り牛肉の脂身のように、永遠や崇高や美は、生きる生活という赤身に埋め込まれる形で存在してこそ豊かな意味を持つのではないだろうか。

僕自身がポストモダンの停滞を抜け出す鍵は、どうもその辺にあるのではないかという今世紀に入ってからの予感を、ここでも確認。

極端に個人的な感慨にまとまってしまったが、単に「建築」に限っても、いろいろとおもしろい指摘がある。たとえば「高層ビルは要するに着せ替え人形で、単純だしつまらない」という磯崎の感想は、むしろ建築に縁がない人にとってはごく当たり前の常識だろう。いろいろとコンセプトを並べ立てても、その元にあるのは建築家自身の強烈な美的価値観であって、コンセプトはむしろクライアントの安心のために考え出されるものだというようなことも実感しつつ理解できるとか、まあ、さまざまに楽しめる本だと思う。