40歳からの肉体改造―頑張らないトレーニング (ちくま新書 726)
[
](http://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=2444430&id=1069307)
40歳からの肉体改造―頑張らないトレーニング (ちくま新書 726)
3.22点 ( 22人中)
有吉 与志恵筑摩書房2008年6月
この著者のことは年末たまたまWebの記事で知ったのだが、単純な筋トレだけでは危険なこともあるかも、と感じていたところでもあり、読んでみた。「頑張りすぎは体を壊す」とあるが、まさにそんな予感(ていうほど頑張っていないのだが…)があったため、いちいちうなづきながら読めた。
著者は、もともと日本人が得意だったというようなスタンスで身体の声を聴く、ということを推奨する。それが特に日本人に特有かどうかはなんとも言えないけれど、彼女も陸上競技経験者ということで、そういう感じ方、考え方が陸上競技者に親和的かもしれないという気はする。
陸上って、基本的にはそれしかないので。もちろん実力が拮抗する場では勝つための駆け引きのようなものもあるとはいえ、あまり本質ではない気がするし、僕なんかは他のスポーツをするときでも、気がつくと自分の身体を通してやっているように思う。それは、考えてみるとあまり一般的でないのかもしれない。
陸上に引っ掛けてさらに進めると、昔から「なんで毎日ただ走ってるだけなのが楽しいの?」とか、ある種禁欲的(マゾ?)なキャラでないとできないようなこともよく言われたけれど、多分そういう風に考える人は、身体の声を聴き、状態をよくしていくことがいかに官能的で快楽的かということを知らないのではないかと思う。
一時、『ランナーズ・ハイ』とかいわれて、長距離を走ると脳内でエンドルフィンが分泌され、気持ちよくなるなんて話があって、実際そうなのかも知れないけれど、それとはまた違った、もっと静かで持続する快感の世界があるのだと思う。それがどれほど静かで持続して豊かになるかは、どう体に働きかけるかはもちろんだが、むしろ自分の感覚でどれだけ自分の身体を捉えることができるか、の比重が大きいように思う。
ポーは『モルグ街の殺人』の冒頭で、強い身体を持つ男が運動して喜びを感じるように、分析家は頭脳を運動させて喜びを感じるとか何とかいっていたと思うが、しかし、身体の声を聴く、ということには、特別強い身体を持つ必要があるだろうか?そう言い切るポーの稚気を僕は愛するけれども、実践課題としてはそうである必要はまったくないのでは?
考え方次第で誰にでも味わえる快楽ではないかなと思うんだけどな。
実践的な知識として役立ちそうなネタもいろいろあるけれど、あらためて自分の体の声にうまく耳を傾けることができているかどうか、結局、それができていれば体調も良くなってフィットネスな身体を手に入れることができる、というのが、まあ、判断基準としては自家撞着めくのだけど(笑)、こういうのは結局、ある状態に自分を持っていって、それを自分が満足できるかどうか、ということだからなあ。
独りよがりで痩せた結果にならないように気をつけて、ってことになるけども、その危険を察知するのもおそらく身体ということになるわけだろうし。