2009-01-05 11:38:00+09:00
日記 . mixi

[補遺] 「環境」都市の真実――江戸の空になぜ鶴は飛んでいたのか

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「環境」都市の真実――江戸の空になぜ鶴は飛んでいたのか (講談社+α新書 430-1C)

レビュー

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「環境」都市の真実――江戸の空になぜ鶴は飛んでいたのか (講談社+α新書 430-1C)

3.28点 ( 7人中)

根崎 光男講談社2008年12月19日

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と、いいながら、世間的にどれほど、どんな感じで「江戸=エコ都市」観が広まっているのかさっぱり知らない。普通に考えても、そもそも衛生・環境の概念が著しく異なるはずだから、それをそのまま現代の理想にするような見方がまかり通っているとしたらそりゃ笑い話にしかならないわけで。

たとえば、ほんの四~五十年前の東京の様子なども参考にして切り口を探していけば、よりはっきりするだろう。本書では触れられていないようだが、たとえば人力以外の動力を牛馬に頼っていた交通の舞台となった道路は当然動物の糞が垂れ流し状態になるわけで、それは昭和に入ってもそれほど珍しいことではなかったはず。汲み取りを前提にした便所にしても、普通でなくなったのはつい最近のことなわけだし。

しかしながら、一方で世界史的に同時代を見ていけば、18世紀初頭には世界最大の都市であった江戸が、その世界最大の人口がどうにか生活を維持していけるだけの様々なインフラや社会制度を整備していたというのも事実。それを、資料を掘り起こして解明することはそれなりに意味があるけれど、現代の観念を性急にあてはめて「環境都市」だったかどうか論じてみてもしょうがない。著者はそういう意味で性急に「江戸は環境都市だったのか?」と問いかけているわけではないだろうとは思う。そこは忖度しておこうと。

しかし、だいたい、思うのはグローバルな環境と『エコ』的発想とを一緒くたに並べて論ずることにどれほど意味があるんだろうか?CO2削減はやってもいいだろうけど、エコバッグに代表される身近な『エコ』は、それだけならば単に現代社会の産業構造が持つ構造的な環境圧を忘れさせる効果しかないのではないか。

最近はとにかく削減目標の達成のために家庭の排出量を減らそうということになっているけど、そもそも排出量全体にしめる家庭の排出量がどれくらいなのか、さらにいえば、その家庭からのCO2排出を強いるような生活様式を推進してきたのは誰なのか?

と、いうような話は本書から離れるので、それはともかく。

個々の資料の掘り起こしはよくなされていると感じたが、維新以来形成されてきた、江戸は家康が来るまでは人もあまりいないような僻地だった、という見方が相変わらず前提となっているように読めたのが気になったところ。網野史学や森浩一の「関東学」による問題提起や、鈴木理生の『江戸はこうして造られた』や、岡野友彦の『家康はなぜ江戸を選んだか』など、家康が江戸に居城した経緯、さらにはそこからのさまざまな土木工事による首都としての規模を実現するインフラ整備などの視点が自然に反映されていれば、たとえば浅草についての記述が若干ばらついていたりするが、そういうところはなくなるのではないか。

さらに同時代の世界の他の諸都市との比較という視点も必要だろう。もともと、江戸が清潔だという議論は、主に幕末に日本に来た西欧人の中に、日本人の識字率と衛生観念に感嘆して、本国への報告書や日記・手紙にそれを書き残したのがきっかけになっているのではなかろうか。その意味からも、当時の西欧の都市、たとえばパリやロンドンとの比較の視点があるとよいのではないか。

私見だけども、現代においても衛生概念においては日本とヨーロッパでは(ヨーロッパで暮らしたことはないけどね)衛生概念にはかなりの差があるのではないかと予測しているので(まあ、気候など環境要因も大きいと思うけど)、ましてや当時のヨーロッパ人が驚いたとしたって、実は現代の日本人からすれば大したことはないんじゃね?くらいは当然頭に浮かぶわけで。

まあ、そういうのは、本書の足りないところというわけではなくて、本書を読んで、いろいろと読者が検討すべきこととして書いたまで。本書自体は、分量、読みやすさとのバランスにおいて、それなりにトピックをうまくまとめているという点でよろしいと感じた。

さらに追求したい点として、五代綱吉の『生類憐みの令』の実態はどうであったのか、よく知らなかったなという点がある。野犬を収容する広大なお犬小屋ができたのが僕の住んでいるつくばのあたりだったらしいという正確な場所も知らないくらいの知識しかない。

まあ、江戸に関しては鎖国を始めとして固定観念と実態との乖離を資料から掘り起こさなければならないトピックというのはまだまだ多い。鎖国に関してはある程度まとまった研究がなされつつあるようだが。