青空文庫のドイル作品リスト
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「100年に一度」といわれるようになった今回の不況。株価が下がろうが住宅が売れなかろうが直接には関係ないけれど、それが実体経済にまで波及してくるにいたっては、そういってもいられない。それなりに、ああ、これは確かに僕もちょっと経験したことがないなと感じさせる。生産調整、人員削減、雇用激減、…、それらにまつわるストレスがひしひし。
人間何をやっても食っていけるとはいうものの、それはやることがあるからであって(笑)、職がなければいかんともしがたい。地方の農村共同体の色合いが濃く残っているなら、仕事がなければとりあえず家で暇をかこつこともできようが、高度資本主義に組み込まれた身では無理。などと考えていたら、アーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズもののことが思い出された。
僕は自分ではかなりのホームズマニアだと思っている。堂々とシャーロッキアンを名乗るほどの根性はないが、彼らがやっているような、ホームズものの記述をもとにしたホームズの生涯の再構成、年譜作り、みたいなことは10代前半の頃にやってみたくらい。
ホームズの依頼人が巻き込まれる事件には、求職の結果、というのが結構あるのだ。「ブナ屋敷」とか「技師の親指」なんかは典型だろうか。ちょっと変型だが「赤毛組合」も近いかもしれない。「赤毛組合」の場合は、突然紹介もなくやってきた男を店員に雇い、彼にそそのかされた店主が、ある意味職をもとめて赤毛組合の扉を叩く。店員を雇う経緯といい、店主の求職といい、オハナシめいていてちょっとありそうにない、と思わせるのでこれはそうでもないが、「ブナ屋敷」では家庭教師の紹介所の紹介でブナ屋敷に赴いた婦人が、「技師の親指」では、水力技師として独立したものの仕事にめぐまれず落ち込んでいる男が、それぞれ事件に巻き込まれることになる。
そういう設定には、医者として開業したもののまったく患者が来ず、あまりに暇なので書いた探偵小説で名を残すことになったドイル自身の境遇も反映されている気がするけれど、まだ子供だった僕にとって、世に出て仕事につくということはなんと寄るべない孤独なチャレンジなのだろう、という不安をかきたてたものだった。
実際、今でもそうなのだが、自分ができる/やる何かと世の経済活動を結び付けるには、その何か以外の部分が大きく預かることを腑に落とさなければいけないわけで、ガリレオやニュートンやパスカルやデカルトがどうやって毎日ご飯を食べていたのか想像しようもなく、どうしたら(能力はとりあえずおいておいて)、天文学者になったり哲学者になったりできるのか?と、悩んで解決できなかった子供の頃となんら変わりないとすれば(笑)、その不安をもちつつがんばり、あるいは挫折を繰り返すか、忘れるかしかないのだろう。
それはともかく、ブナ屋敷のヴァイオレット・ハンターも、水力技師のヴィクター・ハザリーも、つまりはヴィクトリア朝資本主義の中で生まれた資産は持たないが特殊技能は持つ労働者(という言い方は適切でないかもしれないけれど)である、というところが、リアリティを感じさせるところなのではないかと思う。資本主義が未発達な共同体的な世界でも、法人資本主義化した現代のサラリーマンとも違う。今だったら派遣労働者だったり個人事業主とすればいいのか、まあとにかく、共同体の繋がりが切れたところで、自分の技能(と営業力)に頼って生きていく(いかねばならない)個人のプロトタイプという感じを受けるわけだ。それはもちろん主人公であるホームズにしてもワトスン君にしても同じ。
彼らの世界は係累を頼れない不安に満ち満ちているけれど、一方では個人のヴァイタリティが十全に発揮される可能性がある場所でもある。ドイルは最終的にはうまく乗り切ったわけで、そのヴァイタリティのようなものは、作品からも感じられるように思う。また、それゆえに、たとえば「五つのオレンジの種」であえなくテムズ河に落ちて死ぬ「五つのオレンジの種」の依頼人ジョン・オープンショウの弱弱しさを際立たせてもいる。
日本でいえば、明治期から戦前あたり、高度な技術を持った職人は決まった雇用先を持たずに、需要に応じて各地を渡り歩いたというが、その実体が言うほど恵まれたものだったかどうかはともかく、似たようなイメージを抱かせないでもない。産業資本主義の勃興期に独特の世の風景ということになるのだろうか。
僕がいまだによくホームズものを読み返すのは、ストーリーや謎ゆえでなくて、ヴィクトリア朝時代の世相を反映する細部の設定や描写故なのだろう。雇用関係の状況だけでなく、当時の新聞の使われ方とか、あるいは大英帝国の植民地との関係者が多いとか(ワトスン医師自身がインドに行き、第二次アフガン戦争で負傷して帰国したところでホームズに出会うのだし)、読むほどに興味深い箇所がみつかる。
青空文庫では残念ながらすべてではないけれど、短編が十数編読める。僕は長編では「バスカヴィル家の犬」、短編では「まだらの紐」あたりが好きかな。まあ、どれもみんなそれぞれおもしろいからあらためてそういうのもためらうけれど。
そういえば、ホームズは無類の美食家ということになっていて、食べる描写も結構でてくるけれど、「職」ならぬ「食」についてのおもしろい設定描写というのはあまりないかな?僕が印象に残っているのは、「銀星号」に出てくる「羊肉のカレー料理」という奴で、これは憶測だけれど、インドの植民地化にともなってイギリスにカレーが輸入されて定着するはしりの頃だったのではないだろうか?そのカレーが、僕らが想像するようなイギリス風のカレーだったのかどうか(というか、それが実際イギリスにあるのかどうかも知らないけれど^^;)少し史料から想像してみてもよいかも知れない。
(付記) Wikipediaによれば、香辛料の調合に慣れていないイギリス人のために予め調合した香辛料をカレーパウダーとしてうりだしたのは18世紀末か19世紀はじめのころらしい。となると、世紀末を生きたホームズの頃には、ごくごくポピュラーな料理だったのかも知れない。