過去ブログ(2006/01/26)より転載若干加筆修正。
細野晴臣インタビュー―The endless talking
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細野晴臣インタビュー―The endless talking
4.37点 ( 35人中)
2005平凡社細野 晴臣, 北中 正和
僕がロックを聴き始めて、日本のロックにも興味が出てきた頃は、すでにはっぴぃえんどは解散していた。まとめて聴いたのはBOXセットが出てからで、もちろん何曲かは知っていたし、メンバーのソロもちょこちょこ聴いてはいたから漠然としたイメージはあったが、基本的には今の若い人と大して変わらない。
その頃細野氏は、少なくともメディア等の扱いではすでに大御所、スーパーベーシストだったと思う。が、当時、僕はベースを弾いていなかったし、キャラメル・ママ、ティン・パン・アレー、ソロという、入門者にはいまいち活動が見えにくかったこともあって、本格的に追いかけていこうという気にはならなかった。まあ、今でも熱心なファンとは言いがたいのだが、エイプリル・フールから刊行直前の'90年頃までの活動を自ら語った本書を読んで、直接的ではなくとも、実はいろんなところで影響をうけていたのかなあ、という感じを受けた。それはともかく、誰にとっても、はっぴぃえんどからYMOまでのインタビューは興味をそそられるところだろう。
YMOがデビューしたときは、他の二人のことはよく知らなかったが、この人がなんでこんな事を始めたんだろう?という疑問は感じた。本人もそれ以前にクラフトワークやノイに言及していたし("イエローマジックオーケストラ"は1978年、Kraftwerkの"Trans-Europe Express"は1977年に出ている)、だからこそ、大御所と言われた人が今更それ?という感じが拭えず、どうも見ていると本人もやる気があるのかないのかわからない感じであったし…。
本書では、その辺の事情にも触れられていて、曰く「音楽を仕事としてずっとやっていけるかどうか、ためしてみた」ということらしい。それまでは趣味で、ほんとに好きでやってるだけだったから、とおっしゃるのだが、まあ、構えとして何か変えたいというのも、それまでの音楽的な流れだけではないブレイクスルーへの欲求もあったように読めなくもない。「ベースの巨匠」というのもあくまで周りが言い始めた事で、本人は一貫してベースに拘ってるわけでもなさそうだし。
トロピカルダンディー
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4.66点 ( 54人中)
2000日本クラウン細野晴臣, M.Gordon, 矢野誠
まあ、その結果どうなったかは今や誰でも知ってる事なので、置くとして、今回個人的に非常に興味深かったのは、それ以前、はっぴぃ末期からソロの期間である。ちょうど僕が彼の名前を知った頃だ。はっぴぃの最後のアルバムの録音でアメリカに行き、Little Featの"Two Trains"の録音現場を見た事、Van Dyke Parksにプロデュースされた事(この二つの「事件」に関するメンバー4人の発言は微妙な温度差があっておもしろいのだが)から、バンドのようなサウンドがやりたかったが若くてできなかったという話、古いジャズやスタンダードに耽溺していた狭山時代、そこから目を覚まさせるように、Slyの"Fresh"が登場した話。バンドやリトル・フィートからDr.Johnの"Gumbo"が扉になって、そこからNew Orleansのドシャメシャな世界に入り込んだという話…。
個人的な話になるが、これを読んでいて、まるで自分がその数年後から行った音楽遍歴が用意されていたみたいだなというデジャ・ヴにも似た感慨があった。まあ、ロックというある種狭いフィールドの中での話だから、その気になれば数年で鳥瞰はできるわけで、結局オリジネイターはそれをしていて、後から来た者は数年のタイムラグでそれを追いかけてる、ということなのかも知れない。似たような発見は加藤和彦や赤い鳥を聴き直したときにもあった。
松本隆対談集 『KAZEMACHI CAFE』
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](http://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=2444430&id=258912)
4.25点 ( 4人中)
2005ぴあ松本 隆
それは、具体的な演奏技術の面でもあって、ティン・パンの頃ドラマーの林立夫と「おっちゃんのリズム」、別名「一拍子」を探求していた話なんか、なんでこれがその後常識になってないんだ??誰もこんなに具体的には教えてくれなかったぞ!と叫びたいくらいの気持ちになってしまった(大げさ)。その部分だけは是非読んでもらいたいので、一部引用するが…、
… それまで根も葉もないことをやるのがロックだと思われていたんですよ、実は。みんな、ただアフター・ビートで叩けばいいと。電気楽器で。ところが歳をとって耳が肥えてくると、ロックというのはそんなもんじゃなくて、非常に歴史があって、時代の変わり目のエッセンスをすくってきて、例えばスウィングからロックに変わる時期にスウィングの片鱗が残ってて、ロックでもベースの人はウッド・ベースでスウィングを弾いてたんですが、ドラムはシャッフルからよりタイトになってきて、縦割りに8ビートになってきていた。そういう「ずれ」こそロックだということがだんだんわかってくるわけです。一種のポリリズムですね。そうしないと本当のロックのビートが出ない。… (『KAZEMACHI CAFE』)
これが今でも常識になってないというのは、自分の体験から日頃しみじみ感じていることなのだ(端的に言えばこういう話をしても通じない)。こういう解釈をYMO以降ステップ入力の打ち込みでグルーヴを再現する際にさらに追求したというのも、自分史と重なる。細野氏は「秘伝」だといっているが、ほんとに秘伝にしてたんだろうか??だとしたらウラメシイ…。まあ人から理屈を教えられてもできるとは限らないし、しょうがないのかなあ。結局、こういう考え方は打ち込みトラックが普及したのと、Hip-Hopの一般化した後の世代なら通じるかもしれないなというような位置に置かれてしまっているように思うのだが。
… 当時、バンドはみんな好きだったけど、好きな人の中でドクター・ジョンの『ガンボ』というキーを叩いた人はそんなにいない。謎解きなんですよ、こういうのは。サスペンス、追っかけ物ですよ。大瀧君は『ガンボ』という扉をあけて入っていった数少ないうちの一人だった。… (『KAZEMACHI CAFE』)
といわれても、こっちはその頃やっとバンドやリトル・フィートに驚かされたばっかりなんだからなあ…。まあ、それだって、この人たちの蒔いた種があってこそなのかも知れないが。そんなこんなで、若干の悔しさを覚えつつ、"トロピカルダンディー"を聴いているところである。このアルバムにしても、出たときはなんかジャケットがLeon Russellの"Will O' the Wisp"みたいだなあと思ったくらいで、近くのレコード屋にはないし、持ってる人もいないしで、通して聴く事もできなかった。まあ、聴いてわかったかどうかも怪しいが。
音楽上のこと以外でも、似たような事を感じる事はいろいろあったが、随分書いたので省略。
エイプリル・フール、はっぴぃえんど時代の回想については、かつて松本隆のWebの『風待茶房』で松本/大瀧、松本/細野の結構な量の対談があって、そちらを先に読んでいたので、若干質量ともに淡白かなという気はした。この対談は今はWebでは読めなくて、『KAZEMACHI CAFE』という対談集に入っている。この時代に興味がある人はこちらも読んでみるといいかも知れない。個人的に松本隆は大の苦手で、おそらくこの人について特別に何か書く事はないと思うので、ここで一緒に紹介しておく。
以上。
さて、そういう細野氏の青春時代、はっぴぃえんどは勿論だけれども、その後YMOに至るまで、Tin Pan Alleyでの動画。
Harry Hosono & Tin Pan Alley (1974-1977) - Part 1
Part 3まであります。
70年代中期の日本でここまでやっていたというのは実際驚異ではあるのですが、この時期ナチュラル・ハイだったという細野氏、ちょっと飛びすぎちゃってたかなあという気もしないでもないな^^;
これはある意味非常に申し訳ないというか罰当たりなことで、アルバム"TROPICAL DANDY"もそうなんだけれども、今聴き直しても「凄い!」とは思うが、それ以上の思い入れと言うか感情移入は僕には湧いてこないというのが僕の正直なところ。
やっぱり歌のせいかなあ…。 キャラが合わないのかなあ…。 理論先行だからかなあ…。