2009-07-01 01:31:00+09:00
日記 . mixi

mixi日記から転載 id=1212357801

音は単に音なだけではない。

音はつまり空気の揺れ動きであり、ということは、"air" = 雰囲気であり、僕が今ここでさまざまなものやものでないものに取りまかれている、その取りまかれ方そのものでもあり、音から僕は常にそういうさまざまな情報を感じながらそこにいる。

水の中で音を音として自然に聞けるようになるまでには若干の慣れを必要とする。媒体である水が、音を伝える媒体としてよりもはるかに僕にとって大きな存在であるからだろうか。

慣れた媒体(慣れ親しんでいる場所にある空気)の中に居れば、僕は音を音として自然に受け取ることができる。しかし、その慣れ親しみがいったん失われたときは、音は音というよりも、その場の状況、自分を取り囲み闇から守るところの家のつくりとか、あるいは隣人との距離であるとか、自分が五感を通して感じることができる限りの周囲の空気の滞り、その他の情報を伝え、あるいはときには警告する、それ自身が媒体と化してしまう。

音楽は音でできているが、完全に音を音そのものとして受け取ってしまえば、そこに音楽が存在する余地はない。あるいは、音が音楽以外の何かをより多く伝える媒体と化している場所では、音楽を自然に受け取ることは難しい。

下世話なレベルでは単なる引越しだけど、十年近く大きなマンションの一室に住んでそこで、日常、音に接していたから、安普請な隣が近い日本家屋に移ると、結構慣れるのに時間がかかりそうかもなあw

家族や隣近所を気にする必要がなければ、その違和感を感じるにまかせることもできようが。

まったく、音とはときにやっかいな恋人、なんてな。