2011-03-23 17:52:00+09:00
日記 . mixi

日記

mixi日記から転載 id=1694506931

== 2011-03-22 ==

こんなニュースが。

http://www.asahi.com/national/update/0322/TKY201103210384.html

福島原発近く海水から放射性物質 最大で基準の126倍

これも、予測された事態、予測された対応、とはいえ…。

日頃から地震の災害は基本的に人災だと言ってきた。火山爆発は天災とも。しかし今回の津波の被害を見ていると、地震動による地上の被害は人災としても、津波の被害は天災というしかないのではないかという思いにとらわれた。

しかし、こんなつぶやきも流れている。


大前研一が「津波が襲った地域は復興してはいけない」と言っている。一見、冷徹で残酷にすら思える提言だが、実は明治29年と昭和8年に大津波を経験した被災地の祖先も、全く同じことを言っていた。「ここより下に家を建てるな」


天災/人災の区分を再検討しなければいけないかも。

== 2011-03-23 ==

http://naokitree.blog33.fc2.com/?mode=m&no=129

ビートたけし、「被災地に笑いを」なんて戯れ言だ【長文抜粋】

余計なお世話を承知で我的注釈。

この震災を「2万人が死んだ一つの事件」ではなく「1人が死んだ事件が2万件あった」と考えなければ被害者のことをまったく理解できない。 しかし、この二つのいい方のあいだの重みの差を思い知ることができるかどうかは、想像力に左右される。

ことばはことば以上のものではなく、想像力のはたらきがなければ単に観念や抽象を表象する記号に過ぎない。それだけならば何を言っても書いても要するに遊びの素材(「言葉遊び」ってのはそういうことである)に過ぎず、社交の道具に過ぎない。そういうものならば、人が何かを思い知ることも、動かされることも、変わることもないだろう。

思いはこころのはたらきであり、実体はないが、観念や抽象ではなく、想像力に裏打ちされればどこまでも具体的なものになる。 それは、思いの主にとっては、現実に存在するものと同じく、手に取ることも触ることもできるような「もの」として現れる。 その「もの」が、「2万人が死んだ一つの事件」と「1人が死んだ事件が2万件」の違いを思い知らせてくれるのだ。

想像力、というと大層なもののように聞こえるかもしれないが、実はその根幹をなすのは、人の気持ちがわかるか、とか、共感する力があるか、とか、要するに感しる能力であり、感情移入の能力であって、それ以外にことばに力を与えるものはない。

「一人が死んだ事件」といってみて、自分にとって大切だった誰かが死んだときの、息ができなくなったとか、胸が苦しくなったとか、ぼおっとしてしまったとか、涙が流れて止まらないんだけどなぜなのかわからなかったとか、そういう具体的な経験とそのことばがむすびつく、それではじめて、ふたつの言い方の違いを知ることができるし、地についた対処(地についてるからといって、それが楽なわけでも気分がいいわけでもないだろうが)のしかたを探し始めることができるのだろう。

もちろん、それを的確にことばにしなくとも、多くの人はわかっているのだと思う。 しかし、そのわかっていることを人に伝えようとするとうまくいかない。 そしてそのうまくいかなかった結果発せられたことばが流通しはじめると、わかっていたはずのこともわかってないかのような気分に陥ることがある。

そういうときに、的確なことばに出会うと、朝、顔を洗ってしゃきっとしたような気分になる。

的確なことばは事態を明確にし、人を勇気づける。 この震災について、状況論、システム論、社会論以外で、はじめてことばの力を目の当たりにし、勇気づけられた。

見やすい地震情報ツールが欲しいということを書いたが、今回の地震の時系列を見るだけだが、こんなのがあった。

http://www.japanquakemap.com/

Japan Quake Map

このわかりやすさは素晴しい。ニュージーランドの地震用のものの使い回しみたいだが、それでも短期間でここまでできるし。 データはそのつどUSGSのものを持ってきているのか、溜めておいて新しい分だけ持ってきているのだろう。 このページのように時系列を早送りして見せるだけでもいろいろとおもしろいところがあるようだ。

自前で地図を書いたらこういうのはわからんなあというのは、海底地形でプレート境界や断層も示唆されるというところ。 この辺はGoogle Mapsだからこそ、という感じ。