2023-08-04 08:07:00+09:00

なが〜い夏休みでも宿題はやっぱりしない

大滝詠一「君は天然色」Music Video (40th Anniversary Version) [YouTube]

数日前だったかこの曲がラジオで流れて以来頭の中でずっと鳴っていた。

これが出た時、 大学で入ったサークルのヘッドに「今年はこれだ〜」の台詞とともに聴かされ、 そうなのか、ん〜確かによくできてるし凄いけど、しかし、 感じるこの違和感というかザワザワした感じはなんだ? というわけでそこまで嵌るということは今に至るまでなかったのだが、 今朝の夢の中で誰かがその感じの正体を解説してくれて、 胸にも腹にも落ちまくりでスッキリした。

これから音楽と、さらにそれを通じて社会と関係を取り結んでいきたいなら、 オマエは居場所や取り組み方を根本的に変えないとダメだぞ、 と警告してくれていたんだな。

元はどんなに綺麗な水でも流れていなければ澱む。 流れる場所がみつからずせいぜい掻き回したり浚ったりしても、 流れる水には敵わないのだ、と。

とはいえ、そもそも綺麗でも豊かでもない私という水は、 澱むことさえままならず、 せいぜい、まだかろうじて枯れてはおらん! と、強弁するのが関の山ではあるがしかし。

理屈はつけたつもりでも、どうもすっきりしなかったここ数週間、 その気持の淀みも消えた模様。

自分としたら、四十年以上あったなが〜い夏休み明けだ、が、 子供の頃の夏休み、最後の日に宿題やっつけるような殊勝さはかけらもなく、 やってないものはやってないんじゃ文句ある? とばかり毎年教師の前で開き直ってたのと同様、宿題なんかいっさいやってないな〜、 開き直るしかないな〜、と思うしかない。

それはともかく。

よくできてるし凄い、と書いたけど、本人にとっては喜び だろうけど、聴く方からしたら、だから何?スペクターサウンドなら本家聴くし、 という気持ちもあり、だったんだけど (再現と突きつめ度合いは実際凄くてグローバルに見てもこんなことやってる人は他にいなかったと思う)、 実際の音に関しては、 Aメロで「なにかたくらむひょうじょう、は〜」という感じで アーティキュレーションするところは、あ〜なるほどね!と思ったりしたけど、 なにか歌の節回しのあちこち、特にサビで、ん〜このピッチ感というかハーモニー感は、 大分違うんだよな…、というところが気になって仕方がなかったし、今も気になる。

で、これを書くため Wikipedia を参照したら、

バック・トラックのレコーディング時にはサビを全音上へ転調する予定だったが、歌録りのときに声域が合わなかった…サビだけキーを下げよう!”って」ハーモナイザーで全音下げられた…ピッチ・ダウンで若干失われた高域はパーカッションのベルをダビングすることで補完された

う〜ん、もしかするとそのせいか? ハーモナイザーかけたバックトラックゆえ、なのか、 それによって変ったコード進行の変則さに単純な自耳がついていけてない可能性も あるかな…。

まあなんにせよ、今もそう聴こえるのは間違いなし。