2025-12-09 22:14:00+09:00
日 . 音

父と父方の祖父と

John "Jack" Lennon、Alfred Lennon

今年もこの時期が来た。

今年はJohnの父と父方の祖父、Alfred LennonとJohn "Jack" Lennonのことが気になっていた。

特に祖父について。

Johnの祖父であるJohn "Jack" LennonはあるBio.では"Musician"とされており、 1855年に生まれ、1921年に没した。

彼は事務員として働き始めたが、1880年代に同胞によく見られる衝動に従い、ニューヨークへ移住した。 多くのアイルランド移民男性がその地で労働者や警察官になった一方で、 ジャックはアンドリュー・ロバートンの「カラー・オペラティック・ケンタッキー・ミンストレルズ」の一員となった。

彼の関与がどれほど短期間であれ、これは彼を大西洋をまたぐ初期のポピュラー音楽産業の一端に位置づけるものだった。 ミンストレル・ショー ──白人男性が顔を黒く塗り、大きすぎる襟や縞模様のパンタロンを身につけ、 「スワニー川」や「クーン」「ダーキー」といった黒人像を扱った哀愁ある歌を歌う芸── は、19世紀後半には、人気のパフォーマンスであると同時にヒット曲の供給源としても非常に大きな人気を博した。 1897年にロバートンのカラー・オペラティック・ケンタッキー・ミンストレルズがアイルランドを巡業した際、 リメリック・クロニクル紙は彼らを「洗練されたミンストレル芸の世界的に認められた名手」と称え、 ダブリン・クロニクル紙は「これまで見た中で最高」と絶賛した。 同時代の便覧によれば、この一座は30名ほどで構成され、化粧による黒人役のほかに実際の黒人芸人も含み、 上演する町では必ず街頭でのパレードを得意としていた、という。

これではなくて、 祖父であるJohnがミンストレル・ショーの芸人だったという日本語の記事があったのだが、 今それがみつからない。

それに言及した別の記事。

英語のものはいろいろと。

リンク集になってしまった。

ミンストレル・ショーにいたというから、"Musician"といわれても、我々が現代に想起するありかたとは、 かなり異なった、むしろ「芸人」とするほうが実態に近かったのではないかと思われるのだが、 孫のJohnの個性のある面が現われているような気がして、気になっているのだった。

アメリカに渡ったことも。

孫のJohnがそういった祖父のたたずまいを知っていたのかどうかはわからない。