過去に読書中であった。
2024-07-24T23:59:00+09:00
以下転載。
大岡昇平と埴谷雄高という意外な組み合わせの対談。 実は世代も同じで(どちらも1909年生まれ)、 活動においてもいろいろと交錯することがあったのがわかる。
大岡昇平は尊敬しているが埴谷雄高は嫌いという筆者にとっては、 まずは、『幼年』『少年』や小林秀雄の証言等だけではわからないキャラクターが よくわかるところがありがたい。 そして埴谷雄高だが、まあこういう奴っているよなあという感じ。 観念の世界だけを考えればこういう人がいてもいいのだろうと思うが、 現実の行動(本書の中でもいろいろと言及されているが)を考えたときには、 ちょっとなあと思わざるを得ない。 もちろん観念を思想として行動し、その結果に責任を取るというのはいいのだが、 もしそうだとしても実際のところあまりかかわり合いになりたくないタイプだなと思ってしまう。 村上春樹のように自分の好き勝手に考え行動したいけど人には嫌われたくない、 というのよりはマシかも知れないにせよ。 唐突ではあるが『思想とは死ぬためではなく生きるためにあるのだ』 という上野千鶴子の台詞(これを書いただけでも彼女は尊敬に値すると僕は思っているのだが) をあらためて思い出す。
しかし、やはり大岡昇平はかっこいい。 尊敬する。