2011-02-20 01:00:00+09:00

『国家の命運』 薮中三十二

『memorandum of items』より転載 公開済 2011/02/20

過去に読書中であった。

国家の命運 薮中三十二

2024-07-25T00:12:00+09:00

以下転載。


帯に 「四十年余の外交官生活をふり返りながら、衰えゆく日本の国勢を転回させるための針路を提示する」 とあり、ついこないだまで現役外務事務次官だった人ということで、 大局的な視点の話があるのかと思ったら、 まさに「現場の外交官」らしくトリヴィアルな交渉術のハウツーがあるだけでがっかりした。 まあ、外交官というのは(「に過ぎない」ではなく「であるべき」という意味で) そういうものと云ってしまえばそれまで。 逆にいえばそういう外交官たる存在に対して違う期待をしてしまう境遇に置かれている 我々の不幸が我がっかりに現れているともいえるか。

しかし、これは外交官にとどまらず「エージェントの問題」として一般化できると思うのだが、 エージェントには意思は必要とされないとして、 ではいったい意思はどこにあるのか?という疑問は当然湧いてくる。 たとえばアメリカの外交などでは、国務省には様々な「意思」を持った外交官が割拠していて、 時の政権は自分たちの意志にあったものをその都度重用する (ときとして立場が逆転することはあるにせよ)、という人の使われ方があるように思う。 そのような形が一方の極にあり得るとすれば、多極には、 その能力が意思ではなく使命遂行能力のみによって計られるような 純粋エージェントを想定することができるだろう。

モデルとしてはそうだが、 現実に両極のどちらかであるような組織が存在するかと云えば疑わしい (北朝鮮等はそれに近いのかも知れないが)。 となると、やはりたとえ外交官であろうと、 その「意思」というものが問題になるような気がするのだが、どうだろう。