過去に読書中であった。
『 『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』 C・ダグラス・スミス 』
以下転載。
「富=豊かさ」の等式が当たり前に成り立つと思われている現代資本主義社会からすれば、 そもそも矛盾しているのではないかとさえ思えるタイトル。 それは一つの価値観、イデオロギーに過ぎないとはいえ、 この価値観はわれわれの見方をあらゆるところで束縛している。 本書の平易な説明を読んでゆき、その束縛がいかに大きいかに思い至れば、 われわれが考えている「豊かさ」がいかに貧しいものか、 さらにいえば、富に還元されない豊かさを社会全体として取り戻すのが、 いかに難しいかに呆然とするのではないか。
本書のような内容はともすれば絵に描いた餅とか理想主義とか捉えられがちだが、 筆者もいう通り、むしろ現実を見ることが大事なのであり、 この社会に起きたこと起こっていることを直視したとすれば本書の内容を受け入れざるを得ない。 現実主義がともすれば逃避であり、理想主義が現実主義を追い込むレッテルとして使われがち、 ということである。
「それは理想としてはいいかもしれないが、なんだかんだいってもお金を稼がなくちゃね」とか 「いやだけど仕事だから仕方がないよ」など、私たちがよく耳にするこのようなセリフは、 「所得につながることにのみ現実性がある」という、経済発展論の発想である。
私はこういう位置づけに対して疑問を投げかけるためにこのタイトルを選んだ。 経済発展論=所得倍増論が社会の常識であるかぎり、 この本のそれ以外のテーマに関して 考える ことはできない。 医学用語を借りれば、経済発展論は現代社会のなかの思考障害と呼ばれてもいいほど、 思考力を押さえつける力をもっている。
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車社会は「車を買ったらいかが?」と人を説得しているのではなくて、 「車がないと貧乏だよ、とても不利な生活をしているよ」と人を脅し、強制しているわけです。
アメリカではとても有名な話ですが、一九二〇年代まで、 ロサンゼルスは世界でも有数の通勤電車のある街だった。 それを自動車会社が買収したのです。 彼らは次第に電車を減らしてゆき、不便なものにして、やがて赤字にして廃止した。 自動車産業は同じようにアメリカ中の鉄道や路面電車の会社を買収して、車文化を作った。 とても暴力的な歴史なのです。自由市場で車文化になったということではないのです。
高速道路を作るというかたちで、政府はものすごく大きなお金を出して自動車産業を援助した。 一九五〇年代にアイゼンハワーは、 政策としてアメリカ全土の高速道路を作り直すという史上空前の公共工事をやった。 それが今のアメリカ文化の基本になっている。 ファスト・フードやドライヴイン・レストランが国中いたるところにできた。
日本で旧国鉄は赤字で税金を使っていると避難されましたが、 もし日産とトヨタが高速道路を全部作り、管理していたとしたら、 一台の車はどれだけ高くなってしまうか。 車が便利だから、自然に車社会になったのではありません。 政策として、人為的に作られているのです。
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もう一つ驚くことがあります。 それは、国家は誰を殺しているかということです。 もしも殺されているのがほとんど外国人であるとしたら、これが恐ろしい統計であるとしても、 とにかく国家は自分の国民との最初の約束を守ろうとしていることが読み取れるわけです。 それぞれの国家が敵国の兵隊を殺しているのであれば、そう言えるでしょう。
ところが、そうではない。 殺されているのは、外国人よりも自国民のほうが圧倒的に多いのです。 ランメルによれば、先の国家によって殺された約二億人のうち、 一二九、五四七、〇〇〇、約一億三千万人が自国民だそうです。
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日本の他にもう一つ平和憲法を持っている国がコスタ・リカだというのは有名です。 コスタ・リカの憲法も同じように軍事力を持たないと規定しているのですが、 その成立の事情は日本の平和憲法とまったく違う。 コスタ・リカには誰かを侵略して、戦争に負けて反省したという歴史がないのです。 小さな国だから隣国を侵略するはずがない。 だから中南米の政治文化の文脈のなかでそれを読み取らなくてはなりません。 つまり、軍部を作ればすぐに軍事クーデタを起こし独裁政権を作る。 中南米の歴史はその繰り返しでした。 だからコスタ・リカの人たちは軍部を作らないと決心した。 作ったら国民をいじめるに決まっている。 政府の国民に対する暴力を制限するために平和憲法を作ったのです。
二十世紀は戦争の世紀だったけれども、もっとも多くの人が殺された戦争は、 国家間の戦争ではなく、国家と自国民のあいだの長い戦争だったのです。
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アメリカの大統領選挙に勝ったトルーマンが、 一九四九年一月二〇日の就任演説で「アメリカには新しい政策がある」と発表しました。 未開発の国々に対して技術的、経済的援助を行い、そして投資をして発展させる、 そういう新しい政策でした。
今この政策はあまりにも当たり前になっているから、 あの瞬間が画期的だったということを思い出すのは難しいのですが、 当時の経済学の論文を見ると、 トルーマンが使った「未開発の国々(アンダーデフェロップド・カントリーズ)」という用語は、 それ以前には使われていなかったことが分かります。 発表された学術論文が全て載っている雑誌記事索引というものがありますが、 一九四九年の演説以前のものを見ると「未開発の国々」という項目は存在しない。 「近代化(モダナイゼーション)」という項目も存在しない。 ところが一九四九年一月以後、それがどんどん増える。 そしていつの間にか経済学、社会学の専門用語として定着していたわけです。
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そしてもう一つ重要なのは、発展されるというか、発展させられる国は、 アメリカ合衆国ではなく、別の国であるということです。
経済発展政策の対象はアメリカ合衆国ではなく、世界の相対的に貧乏な国です。 植民地から解放されたばかりの国か、あるいはまだ植民地になっているような国が対象です。 これは今あまりにも当たり前になっているので、 どれだけ画期的だったかということを説明するのは難しいのです。
「国Aは国策として国Bを発展させる(デヴェロップ)(開発する)、 それが国Bの発展(デヴェロップメント)である」ということ。 なぜ「作り直された言葉」かといいますと、 基本的に、日本語の「発展」や「成長」もそうですが、 英語の「発展する(デヴェロップ)」は本来は自動詞なのです。 他動詞ではない。だから言葉としてふさわしくないように聞こえます。 国Aが国Bの「発展」を政策としているのに、その表現は自動詞ということになって、大きな矛盾です。 これはたんに文法上の問題ではなく、とても重要なポイントなのです。
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「対抗発展」という言葉でまず言いたいことは、今までの「発展」の意味、 つまり経済成長を否定することです。 否定するというのは、これから発展すべきなのは経済ではないという意味です。 それは逆に、人間社会のなかから経済という要素を少しずつ減らす過程です。
すなわち一つには、対抗発展は「減らす発展」です。 エネルギー消費を減らすこと。 それぞれの個人が経済活動に使っている時間を減らすこと。 値段のついたものを減らすこと。
そして対抗発展の二つ目の目標は、経済以外のものを発展させることです。 経済以外の価値、経済活動以外の人間の活動、市場以外のあらゆる楽しみ、 行動、文化、そういうものを発展させるという意味です。 経済用語に言い換えると、交換価値の高いものを減らして、使用価値の高いものを増やす過程、 と言うことになります。
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民主主義にはやはり余暇が必要なのです。 具体的な民主主義、つまり、人が本当に政治の議論、政治の選択に参加し、 政治権力そのものを担おうと思えば、たまの日曜日の活動や議論くらいでは足りません。 そういう意味で、国家の経済的な身体は民主主義の足を引っ張っているのです。
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コロンブスが「新世界」に来たとき、それはアメリカ大陸ではなくてカリブ海の島でした。 一番最初に見つけた島を彼はイスパニオラと呼び、今もこの島はその名前で呼ばれています。 この島は現在ドミニカ共和国とハイチ共和国という二つの国に分けられています。
この島にはタイノ族という先住民が住んでいました。 コロンブスと一緒に行った当時の人の記録によると、最初にそこへたどり着いたとき、 コロンブスとその一行は、 もしかしてエデンの楽園に戻ったんじゃないかというような印象を受けたらしい。 あまりにも自然がきれいで、 そしてそこに暮らす人たちはまるで本当に聖書のエデンの楽園に描かれたような生活をしている。
まず彼らはものをあまり持っていない。 暑いから服もあまり着ていなくて、裸に近い状態。 そして彼らは農業をやっているのですが、それが非常に優れた農法である。 いろいろな種類の別の作物を一緒に植える。 そうすると管理、手入れがほとんど必要ない。 だから畑では一週間のうち数時間しか働かない。 魚が欲しければ海に入ればすぐ獲れるから、それもあまり時間がかからない。
では何をしていたかというと、まず音楽がとても重要でした。 歌ったり、踊ったりする時間、楽器で音楽を作ったりする時間がとても多かった。 あるいは語り部がみんなに物語を話す時間。 あるいは飾りを作る時間。 彼らはとても器用で、髪飾りとかネックレスとかイヤリングとか、いろいろなものを作っている。 つまり芸術活動です。 あとは、ヨーロッパ人にとってはとてもショッキングだったけれども、性行為です。 恋人が一緒になって、なんだかんだといろいろやって、それをあまり隠してもいない。 その時間がとても多かった。
コロンブスたちは彼らを労働者にしたかったのですが、 そういう生活をしている人たちがお金のために長時間労働をするわけがないのです。 タイノ族の人にしてみれば朝から晩まで八時間とか十時間も労働するということは考えられない、 想像もできないのです。
「音楽が重要だった」というのはいかにもカリブ海らしい。 もっとも、 今のカリブ海の音楽はアフリカから連れてこられて奴隷にされた人々の文化の影響が強いはずで、 タイノ族の音楽がその流れにあって今と似たものなのかどうかはわからないが。
日本においても、縄文初期から中期にかけては、今より平均気温が高く、 自然の恵みが豊かであったため、 生きるために労働する時間は思いのほか少なかったのではないかということが言われ始めている。 余暇があったわけで、精巧な縄文土器や豊富な装飾品はそれゆえなどということも。
もしかしたら、音楽についてはわからないが、 ここに書かれたような側面が縄文時代にもあったのかも知れない。 そして彼らは広域に移動する面もあった。
実際、コロンブスはここに奴隷制を作り、プランテーション農業をやった。 タイノ族はあまり武器を持っていなかったから、刀がどういうものかもよくわからなかったらしい。 刀と鎧で武装しているスペイン人がものすごく恐いから、 コロンブスたちはすぐに奴隷制を作ることができた。 しかし、タイノ族は奴隷に向いていなくて、どんどん死んでいく。 当時の記録によると、病気で死ぬ、あるいは座り込んで死ぬまで動かない。 とにかく死んでいくのです。 鬱病になって死ぬ、あるいは子供を作らない。 自分の子供を奴隷にすることは考えられないからです。 それでタイノ族は百年で全滅したのです。 今はもう、一人もいなくなってしまいました。
著者、C・ダグラス・スミス について。 話題になった(読んでいないが)『 世界がもし100人の村だったら 』の日本における出版の監修者の一人だった。
発展に対置された「対抗発展」は、経済成長を否定するということ。
- 貨幣経済、資本制生産様式に依存する割合を減らす
- エネルギー消費を減らす
- 貨幣経済、資本制生産様式以外の価値を発展させる
- 交換価値の高いものを減らして、使用価値の高いものを増やす
「民主主義にはやはり余暇が必要なのです。」という指摘からは、 とはいえ、もしそうならば、その余暇を産むためには充分な生産力の確保とその 適切な分配は必須ではないか。
結局のところ、世界の全ての人間がタイノ族のような環境に生きられるわけではない。 その意味では先日のネタニヤフの演説にも出てきた「文明と野蛮」の対立図式は実は、 「持たざる側(文明)と持てる側(野蛮)」であるのかも。
それはともかく、「対抗発展」は近年口にされることが多くなった「コモンズ」や「社会資本」 と似ていて、結局のところ、貨幣経済、資本制生産様式以外の価値を重視する とこと自体はことさら新しい考えではなくて、少なくとも産業資本主義と同じ程度には 伝統はある。
どちらにしても、そこに収奪の構造があることは明らかだが、充分な生産力の確保とその 適切な分配をいかに実現するか、という問題はまたある。
のではないのかな?
植民地主義を始めとして、歴史がいかに過酷な収奪によって進んできたかを認識する、ということと、資本主義を克服するための対抗手段を模索することは、関連するとはいえ、一旦は分けて考えてもよいのではないか、とか。
まだまだ整理できないところ。