2022-06-19 13:39:00+09:00

続きありの近況

仕事忙し感染症と大地動乱の時代

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昨日は久々に吉川公園で練習。

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今の仕事はコード書きだが一般に公開するアプリとかでなく、 雇主が内製する研究・実験用システムで、 書けば動かして貰える先があるわけでもなく、 勢い動く先の整備も面倒見ることになっている。

今年に入ってそういう案件が増え、 去年も忙しかったが年度変って落ち着くかと思えばさにあらず、 むしろ結構な規模のプロジェクトが複数並行して続くという、 いわば案件インフレ状態の気配、 どうもこれが秋までも続きそう。

データ取ってシステムを回して分析結果をまとめるというのが手順だが、 これを何かに喩えるなら、謎の製品Xを、環境条件の異なる各地で同時並行的に 耐久テストして改良、発展させる、というイメージだろうか。 ただし、その異なる環境条件のテストパターンは、不定期にその都度発生、 それなりのスケジュールとともに提示されることになっていて、 要求元が複数だが、要求元同士の調整などあるわけもなく、 こちらのキャパが考慮されているとは必ずしもいえない。

そういう堅苦しいイメージでなくても、喩えば、 「コロナ沈静化記念一都三県同時屋外ライブ」 みたいな企画を主催してるイベント業者になってみたと思えばよいかも。 計四箇所で同日同刻にバンド複数出演の屋外ライブイベントをやって、 各会場のリモート配信もするというのを、 せっかくなんで感染状況もみてそれなりに感染者数が減ったタイミングで 年度内何回かやろう的な。

まあ、そんな場合に想像される主催のカオス状況に比べれば大分お手柔らか なのは云うまでもないが、 どちらかというと没入系なコード書きとイベンターの下働き的な作業を 並行してこなすというのを数日〜数週間続けるとある種ケミカルな状態変容を 感じることもあり、とりあえず自分ではそれをピットクルーモードと呼んだりしている。 そういう時は体は動かす必要がなくても脳細胞をアドレナリンで駆動してるかの ような錯覚に陥る。

先週末はピットクルーモードが佳境で相当のアドレナリン分泌が予想され、 そのつもりでいた割には意外に諸処いろいろうまく行ってしまった。 そうなると、なんだか逆にもう少しアドレナリン出たほうが後々気分スッキリ できるかなあとか思ったりしてしまうのは何なのか。

とはいえ、いったん分泌されたアドレナリンはそれなりに二日酔いの如く意識に 作用するようで、仕事とは関係ないこともいろいろと去来するこの週末ではあった。

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案件インフレと書いたがこれにはあきらかに感染症禍が影響しており、 あまり居心地はよくないがCOVIDバブルと言われても仕方がない気もする。 研究対象がもともとリモートワークに繋る要素もある上にVR/ARがメタヴァースとして 新装開店で投資先として注目されてる雲行きであり、 自分が関わる分野が必要とされお金が回ってくるのはもちろん有り難いのだが、 それならむしろ、もっと先に考え人も金も回すべきところがあるだろうとも。

嘗て地震学者の石橋克彦は兵庫県南部地震後の著作で書いた。

大地震という自然の営みによって東京圏に大震災がおこり、条件の悪い場合に莫大な
人名と財産の損失を生じかねないのは、軟弱地盤地帯に過大な人口が集中し、技術を
過信した無理な土地利用によって超過密な巨大都市群を造っているからである。
国土の3.6%の面積に総人口の26%の3,200万もの人がひしめいているのが異常なことは、
土地・住宅問題、通勤地獄、交通渋滞、駐車難、水不足、電力危機、ゴミ問題、
大気・水質汚染、ヒートアイランド化、東京湾の環境悪化などの「東京問題」に
日々現われている。
- 「大地動乱の時代: 大地震に耐え抜く分散型国土をつくろう」より

COVIDの感染症禍を今まさに経験しつつあり、将来においてもCOVID変異株、さらには ここ数十年の状況を見れば新たな感染症の蔓延も充分に懸念される中、 ここでの「東京問題」のリストに感染症問題を追加することに躊躇する向きは 少なかろうし、続いて挙げられる「戦術的な地震対策」はそのまま感染症対策に 対応づけることが可能である。

避難場所の整備、構造物の補修・補強、防災訓練といった行政レベルの戦術的な
地震防災対策は、必要なことではあるが、最悪の大震災を防止するには無力だろう。
ほんとうに惨害を防ぎたいならば、思いきった過密の解消という政治的・戦略的対応を
真剣に考えるべきである。
- 「大地動乱の時代: 大地震に耐え抜く分散型国土をつくろう」より

云うまでもなく、

であるが、さらにいえばそういう戦術的な対応が最悪の感染症禍の防止に無力である ことはその戦術的対応が稚拙さはあるにせよ、オミクロン株の蔓延であきらかだし、 感染しても軽症がほとんどであることは単なる僥倖に過ぎず、 「ほんとうに惨害を防ぎたいならば、思いきった過密の解消という 政治的・戦略的対応を真剣に考えるべき」なのも、大震災の対策と同じであることも 論を俟たないはずである。

具体的にどういう対策を取るべきかのイメージはひとまずおくが、 そういう政治的・戦略的対応により、望ましい姿に変わった日本の国土と社会を 舞台としてこそ、我が関係分野も真に輝く可能性があると思えるのである。

(近況なのに続く)