2023-10-10 09:39:00+09:00

『アベノミクスは何を殺したか 日本の知性13人との闘論 原真人』

読書中であった

読書中であった。

アベノミクスは何を殺したか 日本の知性13人との闘論 原真人

「アベノミクス」という単語を始めて使ったのは自分(最初はある種の揶揄だった)、 とする著者が、 翁邦雄、白川方明、藤巻健史、中曽宏、石弘光、佐伯啓思、山口二郎、藻谷浩介、 門間一夫、柳澤伯夫、石原信雄、水野和夫、小野善康 という13人に行なったインタビューを元に構成した書。

白川を筆頭にほとんどが日銀OBのエコノミストとは主に黒田日銀の金融政策の検討、 それ以外とは金融・財政を中心に大きな政策目標についての議論。

デフレ、低成長の主原因については白川や自己批判後の見方がなるほどと。

個人的には長年もやもやしていた「生産性向上」にどう立ち向かうべきかという 問題意識をクリアにするのに役立つ示唆があったように思う。

白川はアグレッシブな財政政策と組み合わせた金融緩和の長期化が生産性の伸びを低下させる危険性について語り、小野は、単に生産性を向上させるだけでは逆効果、人出をかけずにたくさんモノを作れるようにしたら、モノは売れずに、雇用だけ減ることになる、という。

これは思うにどちらの面もあると捉えることもできるし、 生産性(はもちろん定式化されていて計算できる数値だが)の数値のみでなく、 そこから出発してより具体的な状況の分析と対処が必要ということ。

たとえば、ちょっと検索すれば「 「生産性向上」と「業務効率化」の違い 」といった記事がヒットしたりするが、 生産性向上と業務効率化は違う、ということや、 財政的なワイズ・スペンディングは、生産性向上を念頭に置かないと実現しない、 生産性向上は供給側でなく需要側、結局は新しい価値創出にかかる、少なくとも、 それを視野に入れなければいけない、と読んだ。

「長年のもやもや」というのはまさに小野のいう事態をクールに分析して解消すべき ものだったと判断できた。

安倍政権がいかに日本を破壊したか、については、 この中でもいろいろ示唆されるところはあるが、 いくつかの理由で今回は保留。 本書のタイトルのように「アベノミクス=安倍政権の政治」のように捉えてしまいがちになると、むりそこの時期の金融政策を正当に評価する妨げになりかねない、というのが 一つ。 安倍政権が日本破壊の主要なエージェントであるのは確かだが、 安倍晋三という存在はむしろ犠牲獣であり、 問題はさらに根深いところにある、というのがもう一つ。

長年、この国は平安朝まで戻ったと思ってきたが、最近はさらに謎の四世紀まで 戻ってるのでは、と思う今日この頃に。

以下抜き書き。

すべてはクルーグマンから始まった

クルーグマン自身はリフレの「聖書」のような存在であった「日本の罠」の論考を、のちに「私にとって最高の論文の一つ」と振り返っている。だが、アベノミクスが始まって1年半ほど経った2014年秋、「日本への謝罪」と題して前言を翻すような論考もホームページに掲載している。そこではこんな説明をしていた。「終わりの見えない停滞とデフレに苦しんでいた日本の政策を欧米の経済学者たちは痛烈に批判してきた。私もその1人だったし、バーナンキもそうだったが、謝らなければいけない。欧米も日本と同じような不況に陥っている」「日本の罠」で主張していたような、金融緩和が不足していた日本だからデフレに陥った、という批判は間違いだったと認めたのだ。日本経済に特有の構造的な問題ではなく、実は先進国に共通する問題かもしれないと述べている。

翁邦雄◉リフレ論を巡る「岩田─翁」大論争の当事者

ただ、クルーグマンは、経済学者は自分の議論に誤りがあった場合、それをしっかり認めるところから再出発すべきだ、という考え方を強く主張している人で、実際その努力をしている、と思います。

── 実際に誤りも認めているのですね。

サマーズの批判も素直に受け入れ、2015年の米ニューヨーク・タイムズ紙のコラム「日本再考」では、需要不足を日本停滞の主因として重視してきた論旨を一転させます。いわく、日本は過去四半世紀にわたってゆっくりと成長してきたが、その多くは人口動態の影響による、生産年齢人口1人当たりでは2000年ごろから米国よりも速く成長している、というものです。これ、(元日銀総裁の)白川方明さんとほぼ同じ主張ですね。


…。足元の物価上昇は、原油や天然ガスなど輸入価格高騰が起点です。そのような供給ショックで物価が上昇するときに金融を引き締めると、景気悪化を加速する可能性があります。だからインフレが2%に到達したから金融引き締めすべきだとは必ずしも言えません。ただし、2%の数字にこだわってきた日銀がいま(結果的に2%を超えたのに)インフレの中身を問題にして金融緩和を修正することを拒むのは、議論としては「後出しじゃんけん」のような印象を受けますね。

── 後出し、ですか。

そもそもアベノミクスでは、良いデフレも悪いデフレも存在しない、インフレ率を上げることが至上命題、との立場だったはずです。それを踏まえて、黒田東彦総裁は就任記者会見で「2%の物価目標をできるだけ早期に実現するということが、日本銀行にとって最大の使命」との姿勢を示しました。そのために採用したのが異次元緩和です。だからこそ、2014年に原油価格が低下し、日本の交易条件が改善する「良いデフレショック」が起きたときでさえ、金融緩和による円安で物価への影響を打ち消しました。こうした経緯をみると、表面的な数字を重視するのか、それとも内容を重視するのかについて、日銀の座標軸はまったく一貫していません。それによって金融政策がますます理解されにくくなっています。


…。歴史的に見ても中央銀行にとって中軸となる役割は、経済における金融機能の安定です。そのなかに金融システムの安定、物価安定の両方が含まれています。 1929年に米国で始まった大恐慌のあと、しばらくはケインズ理論をもとに、インフレ抑制には金融政策、デフレ脱却には財政政策という役割分担が経済専門家たちのあいだの標準的な議論になっていました。ただ、20世紀終盤になってくると、大恐慌の経験が忘れ去られ、ケインズ経済学への批判が高まる中で、中央銀行への期待が過度に高まりました。そしてインフレもデフレも金融政策で解決できる、という幻想が生まれたのではないでしょうか。


── 2%物価目標を達成してしまっては、実は都合が悪いということですか。

はい、そうです。日銀が物価目標にこだわって超緩和を続け、それでも目標達成のメドがたたない。そういう状態こそが政府にとって最も居心地がいいという矛盾した状態が続いてきました。目標達成のメドが立たなければ超低金利は維持されます。ほんとうに2%のインフレ率が実現しても国民が喜ぶわけでもない。実際、2%達成が突然視野に入りはじめてから政府は突如、物価対策に追われています。

── 安倍元首相らは雇用が改善したことを「アベノミクスの成果だ」と主張してきました。

確かにこの間、労働需給はひっ迫しました。これ自体は良いことです。ただし、それがおもにアベノミクスによるものなのかどうかは議論があります。失業率の低下も有効求人倍率の上昇も、アベノミクス以前の2008年のリーマン・ショックのあとからトレンド的に続いています。おそらく海外経済の拡大、構造的な生産年齢人口の減少などが強く作用していると思います。

白川方明◉元総裁が語る「民主主義と中央銀行」

── 安倍政権がリフレを掲げた目的は「デフレ脱却」でした。それにしても日本は本当にデフレだったのでしょうか。

白川 緩やかな物価下落が生じたのは事実です。それをデフレと定義すればデフレです。98年から2012年までの15年間で物価は累計4%弱、年率で0.3%下落しました。しかし、これが日本の低成長の根本原因とは思えません。もしそうなら2000年以降の日本の成長率が1人当たりではG7(先進主要7カ国)の平均並み、生産年齢人口1人当たりでは最も高いという事実は説明できません。

── 正しいアジェンダは何だったでしょうか。

白川 最も重要なのは超高齢化への対応と生産性向上です。金融緩和とは、招来需要を「前借り」して「時間を買う」政策です。一時的な経済ショックの際、経済をひどくしないようにすることに意味があります。でもショックが一時的ではない場合、金融政策だけでは問題は解決しません。


英国貴族院の公聴会にオンラインで参考人として出席した際(2021年4月)の英議会議員との質疑応答から。

B議員 欧米先進国の経済や金融政策の環境は、1990年代以降の日本の状況にどれくらい近いか。気をつけるべき警戒サインはあるか。

白川 私が懸念しているのは生産性の低下だ。アグレッシブな財政政策と組み合わせた金融緩和の長期化が、生産性の伸びを低下させてしまうことを心配している。金融緩和の効果は、明日の需要を今日のために借りることによって生じる。しかし明日は必ず今日になる。この戦略はショックが一時的なときには機能する。日本が過去20年以上経験したことも、他の先進国が過去10年以上経験したのも、そのような短期ショックではなかった。

もし金融緩和が長期化すれば、「前借り需要」は必然的に減ってくる。すると生産的な投資の比率も減ってくるだろう。最後にはいわゆるゾンビ企業が生き続けるようになり、生産性の伸びはますます引き下げられてしまう。私は(量的緩和の拡大によって生じる)中央銀行の巨大なバランスシートそのものが経済を刺激するとは信じていない。ただし量的緩和は金融システムを安定させる手段としては有効だ。


2023年3月、IMFの季刊誌に寄稿した論文「Time for Change」から。

金融政策の「再考」のテーマ。

その好例が日本であり、急速な高齢化と人口減少などの構造要因による成長の停滞が、景気循環の谷として誤解されていた。その結果、何十年にもわたり金融緩和が続いた。

金融緩和が10年以上という、より長い期間にわたって行われると、資源配分のゆがみによる生産性の伸びへの悪影響が深刻化する

藤巻健史◉異次元緩和の危うさを最も厳しく問うた

── バブル経済時の日本の消費者物価はどうして安定していたのでしょうか。

藤巻 毎年30〜40円幅の円高ドル安が起きていたからです。それが輸入物価のデフレ要因となり、資産効果による強烈なインフレ圧力と相殺し合ったのです。しかし、いまの米国ではそれと比べるとドル相場がずっと安定しているので、当時の日本以上にインフレ圧力が強いはずです。しかも世界的な金融緩和、つまり中央銀行によるおカネの刷り過ぎで資産効果がものすごいことになっている。株が市場最高値で、地価も上がっている。そこにコロナ・ショックとウクライナ・ショックによる供給制約が発生したことが相まって、世界経済に強いインフレ圧力が加わっているのです。

── そのなかで急激な円安が進んでいるのはどうしてですか。

藤巻 いまの円安は3つの要因から起きています。第一に、経常収支の動き、貿易赤字が膨らみ、経常黒字額が大幅に減ってきています。第二に、日米金利差。米国で急激な利上げ始まり、マイナス金利にとどまったままの日本との間で金利差が広がっています。どちらも円安ドル高要因ですが、この二つがこれほどそろって起きたことはなく、初めてのことです。こんなにわかりやすいマーケット状況はありません。米国では史上最大の金融緩和がまだ正常化を終えていない段階で、40年ぶりのインフレが進んでいます。そんなものが本来両立するわけがありません。インフレが最大の問題になりつつあることもあり、金融引き締めはかなり進むでしょう。一方、日銀は異次元緩和を続ける姿勢を崩さない。必然的に円安が進むしかないと投資家は自信をもって円売りドル買いをするでしょう。基本的に今の円安はこの二大要因で進んでいます。


藤巻 …。中央銀行が債務超過になっても大丈夫なのは三つのケースだけです。

一番目は債務超過が一時的である場合。二番目は金融システム救済のためであり、中央銀行のオペレーションがまともなこと。三番目は税金で中銀に資本投入ができる場合です。日銀は残念ながら一つも当てはまりません。


「財政ファイナンス」と、日銀総裁に就任する前の黒田東彦との接点について

藤巻 マイナス金利政策で銀行経営が悪化したとよく言われますが、違うと思います。実際にはマイナス金利が適用されているのは日銀当座預金のうち、ほんの一部です。日銀の異次元緩和で一番いけないのは、長期国債の爆買い、つまり量的質的金融緩和です。日銀が長期国債を買い始めると、長期金利が下がります。長短金利差、つまりイールドカーブがなくなり、利ざやで稼ぐ銀行の収益源がなくなってしまうわけです。これでは地銀はもうかりません。だから能力もないのに海外事業に次々と進出してしまったのです。

邦銀は円をドルに替えて運用しているのではなく、ドルで調達し、ドルで運用しています。レポ取引(債券を貸し出して現金を調達する取引)でドルを短期調達している地銀は、調達金利の上昇も、評価損を計上せざるを得なくなる運用サイドの長期金利上昇(=価格低下)も痛手です。こういう事態を招いたのは日銀のせいです。地銀を海外に押し出す環境を作り、その地銀が米国の長短金利上昇でおかしくなってきたのですから。

── 黒田日銀は現在おこなっているYCCをやめるつもりはないようです。

藤巻 日銀のYCCはひとえに政府の財源調達を助けるための政策です。国会で「日銀が長期金利を引き下げて喜ぶ人は誰か?」と聞いたことがあります。住宅ローンはほとんどが変動金利なので、借り手のメリットはそれほどありません。社債が長期金利ですが、国民にかかわるほとんどの金利は長期金利とは連動していません。では、長期金利を下げて一番助かるのは誰かと言えば、政府です。この政策は財政破綻を延命させる策、借金体質を延命するための財政ファイナンスなのです。


ハイバーインフレとは

藻谷浩介◉人口減日本の未来図は十分に描ける

藤巻 主要国で最初に65歳以上人口が増えない時代を迎えるはずです。すでに全国約1700自治体のうち、過疎地を中心に300近い自治体で70歳以上人口が減り始めました。こうなれば福祉予算を減らして、子育て支援予算を振り向けられるようになります。それで子育て環境が整えば、子どもが増え始めるでしょう。私はそう予測しています。

門間一夫◉「効果なし」でも、やるしかなかった

── 門間さんは「異次元緩和は最初から効果がないとわかっていたが日銀はやるしかなかった。しかも全力でやりきるしかなかった」とおっしゃっています。たいへん正直な説明ですが、つまりそれは、日銀が生き残るために日本経済を犠牲にした、ということではないのですか。

門間 …。日銀が生き残るためというより中央銀行への信頼がない状態は国民にとって不幸だということです。国民とか有識者の大方が支持する政策を、日銀が「やらない」と押し切ることの問題があります。国民にとって信頼できる中央銀行であるかどうかということそのものが、国民のアセット(資産)ですから。

もう一つは、日銀が全力を出してデフレに向けてできることを全部やりきる、というところまでいかないと、構造改革がより重要だという議論にもっていけません。「金融緩和が中途半端だから日本が成長しない」という間違った議論がなくならないからです。経済論壇に議論の整理をしっかりしてもらう環境を作る意味でも、日銀にはまだできることがある、という余力を残しておくのはいいことではないと思います。

── 日銀の本音として、きわめて正直な説明ですね。日銀の現職幹部たちも以前ならそんなことは口が裂けても言いませんでしたが、門間さんが最近そういう説明をメディアでするようになったためか、同じ趣旨のことを言うようになりました。

門間 私は最初からそう思っていましたよ。それ以外に(異次元緩和を)やる理由はないですからね。日銀の政策によって(物価目標の)2%になんかならないし、日本経済が良くなるなんて思っていませんでした。

── それは日銀内で共通した理解だったのですか。

門間 この議論はもともと1998年からありました。そのころはそうでしたね。2000年10月に日銀政策委員会が「『物価の安定』についての考え方」という文書を公表していますが、そこに「物価の安定というのは数値では表せない」とはっきり書いてあります。だから物価目標はもたない、と。それが日銀の正式見解でした。ところがそこから15年間、それが世の中には受け入れられませんでした。そして13年の異次元緩和へと向かうわけです。


── 黒田日銀は発足時に「2年で2%インフレ目標を実現する」と宣言しました。この短期決戦は不利なゲームであり、しかも日銀が本気度を示し続けないといけない。最初からそうわかっていた、と門間さんは指摘しています。だとすると、黒田総裁は本気で2年で2%目標は達成できると信じていたのですね。

門間 多分そうだと思います。


── 日銀は植田新総裁のもとで、これからどうしたらいいでしょうか。

門間 2%目標が(持続可能な状態で)達成できるかどうかによって道は分かれます。それが判明するのは今から1〜2年後になりますが。そこでもし本当に2%目標が実現できるなら、「異次元緩和が効いた」という誤った理解を残しかねない点は問題ですが、日銀としては淡々と出口に向かえばそれでいいです。

しかし達成できなかったら、2%物価目標そのものについて総括的に検証し直す必要が出てきます。エネルギー価格、資源高などの影響で40年ぶりのインフレとなり、春闘では3%くらいのけっこう高い賃上げとなりそうです。これほどのプラスのショックがあっても、なお持続的な2%インフレが実現できないのだとすれば、これは本当にできないのだなということになります。日銀は16年の「総括的検証」より何倍もまじめに検証すべきです。

── 日本がデフレだったと言われますが、30〜40年前からインフレ率は米国のほうが日本よりずっと高い状態です。インフレ率の日米差がある状態はおかしなことですか。

門間 おかしくないです。

── 放置しておいてもいいのですか。

門間 私はいいと思います。でも世の中はそうではなかった。

── 近年の「デフレ問題」という設定はおかしかったと思います。80〜90年代にはむしろ日本の物価が高い「内外価格差」が社会問題となり、その是正が社会的課題でした。物価をもっと下げろ、と。それが10年前には議論が逆転し、物価を上げろという議論になりました。何かおかしいですね。

門間 私もそう思います。それがおかしいと日銀が国民を説得できなかったということでしょう。

── それを受け止められなかったエコノミストやメディアが愚かだったのでしょうか。

門間 そうではありません。人間の認識というものはその時代その時代の思想、哲学、経験などによって形成されるものです。そういう議論がおかしいと思っていた私が少数派だったのであって、時代の大きな流れのなかでできあがった思想を受け入れた多くの人たちのことを愚かとかは言えません。むしろ私のような人間の方が変人なわけです。変人が普通の人たちを説得できなかったということです。


── 植田日銀にとっては「2%目標」を示した政府・日銀の「共同声明」の見直しも焦点となります。

門間 日銀は、最初は2%をめざして全力で緩和を進めるしかありませんでした。ただ、問題はこの期に及んでいまだに2%目標というものに重点が置かれすぎでいることです。いま起きている国債市場の機能低下とか、市場とのコミュニケーションがうまくいかないといった問題は、日銀が2%に固執するあまり起きていることです。

22年に急速な円安を招いたのもそれが原因でしょう。2%目標も大事かもしれないが、もっと他のこともバランスよく考えたほうがいい。目標そのものを変えられないのなら、それを掲げながらも、もうちょっとウェートの置き方を軽くする認識を政府と共有できれば、それはそれで、意味のある変更になります。たとえば共同声明にこんな一文を入れればいいと思っています。

「経済金融情勢の観点から適切と判断される場合には2%物価目標にかかわらず政策を調整する」。そう明示的に書いてしまえば、目標を達成できなくても、いまの経済情勢とか、完全雇用になっているとか、為替が急激に変動しているとか、他の理由で金利を上げることもできるわけです。それができれば、日銀の政策は格段に良くなるでしょう。

── 共同声明づくりには当時、門間さんも日銀理事としてかかわりましたね。そのときは、安倍政権の厳しい要求にもぎりぎりのところで踏みとどまり、「2%」を絶対目標にしませんでした。日銀の政策の自由度もある程度は保っていたはずです。ところが黒田総裁が勝手に「2年で」と言ってしまった。共同声明では実はそこまで求めていないので、今のままでも問題ないのではないですか。

門間 理屈の上ではそうです。日銀がみずから変わればよいだけのことです。でも共同声明を変えることで日銀も変わりやすくなる可能性はあります。ご指摘のとおり、異次元緩和は共同声明で書かれている以上のことをやっています。共同声明には「金融緩和を推進」としか書いていないが、黒田総裁は最初の金融政策決定会合で「量・質ともに次元の異なる緩和を行う」と公表しました。「次元の異なる」なんていう表現は共同声明にありませんよ。共同声明があるから異次元緩和をやったのではなく、それ以外の力が働いたのです。

形式的には黒田総裁が勝手にやったということになりますが、その黒田総裁の任命も含めて政治の力が働いており、さらにその外側にそれを是とする世の「空気」があったわけです。だから、そうした過去の「空気」に対抗しうるような一文を明示的に入れるのであれば、共同声明の変更も一定の意味を持つと思います。


YCCの撤廃は利上げではない、という理解を世に浸透させることが植田新総裁にとって大事、と述べて…。

門間 …。YCCというのはそういう矛盾をはらむ厄介な枠組みです。YCCについて植田日銀は、利上げではない、金融緩和の後退ではない、物価が上がってきたからやるのではない、ということを明確にしながら撤廃する必要があります。あくまで起きている副作用を軽減するための枠組み変更であって、そろそろ金融緩和を縮小しようとか出口に一歩進もうとかいう話では全然ない、緩和自体はまだまだ必要なのだ、と世の中にしっかり説明して理解してもらうことが大切です。

のちのち「政策のミス」と言われないためには、論理をしっかり組み立て、マーケットにも国民にも政治家にもわかる説明をしなければなりません。

植田新総裁の最初の政策決定会合となる4月にYCCを撤廃するのがベストですが、それはあくまで今言った条件付きです。後で一部のメディアが「あれは拙速だった」と批判したとしても、いやそういう話ではないという日銀の主張の方に分があると、世の大勢に受け止めてもらわなければなりません。少なくとも政権与党には、「日銀は正しいことをやっている」と言ってもらえるようにしなければいけません。


── 日銀が理想的なイールドカーブや長期金利を「コントロール」する、と言ってしまったのは日銀のおごりだったのではないですか。もともと日銀は「中央銀行に短期金利はコントロールできるが、長期金利はできない」と言っていたのに、なぜ急にそうなってしまったのか。

門間 私も日銀がYCCを持ち出してきたとき、本当にびっくりしました。本当に、です。これをやるのか、と。さすがにこれはやらないだろうと思っていました。

そのときには、日銀が「総括的検証」で80兆円の国債買い入れは維持するが「市場の状況に応じて弾力的に行う」といった自由度の高いやり方に修正し、当時問題だった長期金利の下がりすぎ問題を和らげるのだろうと予想していました。

これはコントロールという言葉に「おごり」があったかという問題ではありません。一定の長期金利水準を明示的なターゲットにすると、のちのちの修正や出口の際に非常に難しい技術的な問題に直面するので、よく踏み切ったなという意味で驚きだったのです。

ちなみにやはり長期金利操作を導入したオーストラリアの中央銀行は「イールドカーブ・ターゲット」(YCT)と言っていました。ターゲットでも、やることはコントロールと同じです。その豪州中銀は出口で大失敗しました。そのくらい無理のある政策です。

── 日銀幹部は後に「やってみたら長期金利を操作できることがわかった」と説明していました。

門間 まあ、コントロール自体は今でもできているといえば、できているわけです。ものすごい量の国債を買って。ただし、今の状況で問われているのは「コントロールすべきかどうか」です。雨宮副総裁も17年の講演で、コントロールできるかどうかという問題とコントロールすべきかどうかという問題の二つがある、と言っていました。そして当時は「今のような非常時にはコントロールすべきだ」と。しかし今は非常時ではありません。コントロールすべきではないということになるはずです。

門間 たとえ最初に多少の無理があったとしても、それが尾を引くことのないように、日銀はリスクマネジメントに努めてきたと思います。私はYCCという具体策に賛成はできませんが、16年にマイナス金利政策を導入した後の日銀は、副作用対策にも意を配ってきました。それ以来、日銀がいろいろおこなってきた修正はぜんぶ副作用対策です。

16年9月初め、YCC開始直前に、黒田総裁が初めて(異次元緩和の)メリット、デメリット両方について言及しました。そこからの日銀は異次元緩和の弊害が大きくなるのを防ぐため一所懸命やってきた、副作用が大きくなっていくのをギリギリで止めてきた、というのが私の評価です。

ただしその点は人によって評価が違います。「とんでもないことを10年も続け、財政規律をなくし、ゾンビ企業を生き残らせてしまった」という厳しい評価をしている日銀OBやエコノミストもいます。私はそこまでの弊害はなかったと思っています。


日銀の現役幹部の反応はどうだったか。

結局、日銀が生き残るために日本経済を犠牲にしたのではないのか?彼の答えはこうだ。

「原さんの言うことも非常によくわかるし、政策についての考え方に賛同するところもある。だが、あなたの方が我々より民主主義の機能を信じていないのではないかと思う。私たちのようなカギかっこつきの『日銀官僚エリート』には絶対に『国民のほうがまちがっていて、我々が正しい』なんて言えるはずがない。そんなエリート主義にはなれない」

そうなのだろうか。時の世論の大勢に逆らってでも正論と思うところを訴えることは、国家のエリートの努めだったはずだ。もはやそんな時代ではなくなったのだろうか。それは民主主義とも相いれないことなのか。

この問題について、別の日銀幹部にも聞いてみた。この幹部は「金融政策というのは高度にいろんなことを考えながらやっているから、どちらが正解で、どちらが間違いとは一概に言えない」と言った。

「曲がりなりにも国会が、判断能力のある立派な人たちだ、と判断して日銀の政策決定会合メンバー9人を選んでいる。その決定会合で決めたことに問題があるからといって、他に正解があるということにもならない。他の人間なら別のもっとすばらしい答えが導き出せるということにもならない」

ちょうど22年夏、東京電力の旧経営陣を被告とする原発事故訴訟で、被告には判断ミスがあったとして13兆円の賠償金を払う判決が出たばかりだった。日本の訴訟としては驚くべき判決だった。

では、日銀の政策決定会合メンバーも東電の旧経営陣と同じように、「500兆円規模の国債購入、30兆円超の株式買い上げで多大な損失を国民に与えた」という訴訟を起こされることはありえないのか。そのとき日銀はどうするのか──

この疑問に、件の幹部はこう答えた。「東電の場合は明らかな役員の過失が証明できたのだろうが、金融政策にそれはおそらく、できません」


── 黒田日銀は500兆円近い国債を買い上げ、事実上の「財政ファイナンス」をやってきました。これは、とんでもないことではないのですか。

門間 金融機関の収益源を吸い上げたということで言えば、とんでもないことです。ただ、別に財政規律に関連する話ではありません。ましてや、それで日本がダメになるとか、いずれ円が暴落するとか、そういう話では全然ないと思います。

── いずれ円が暴落するリスクはないのですか。

門間 戦争や自然災害など他の理由で暴落する可能性を否定はしませんが、日銀が国債を500兆円持っているという理由で暴落することはありません。

── このまま続けていたら、日銀の国債保有シェアは現在の5割から6割7割と増えていく可能性もあります。そうなったときに日本の財政の持続可能性が疑われませんか。

門間 6割7割になるかどうかわかりませんし、仮になっても、どういう理由で7割になったかによると思います。その国の基礎的な強さ、つまり財やサービスを生み出す力が大幅に低下すれば、通貨は暴落する可能性が高まります。でも財政赤字が大きいとか、中央銀行が国債をたくさん持っているというだけで通貨は暴落しないと思います。

── 何らかの理由で長期金利が上がったら、政府債務の利子負担で財政はかなり圧迫されてしまいますよ。

門間 長期金利がどういう理由で上がるのかによると思います。日本の潜在成長率が上がって長期金利が上がるなら、税収もガバガバ入ってくるので問題ないでしょう。

問題が生じるのは供給能力が低下する時です。人々が働かなくなる、あるいは災害等でサプライチェーンが完全破壊されて、まともにモノを作れない、運べないということになれば税収も入ってきません。

それでもモノの値段は急騰するので金利は上げなければならなくなるかもしれません。供給能力が最大の問題なので、国を挙げて供給サイドの強靭性を確保すべきです。それは日銀が国債を持つとか持たないとかいう話ではありません。


── いまや財政拡大の財源は「国債を発行すればいい」と言う政治家ばかりになっているじゃないですか。

門間 気持ちはわかります。私は日銀がブレーキをかけるというよりも、財政を巡る情報発信を充実させるべきと考えています。我々は2%物価目標の実現のために全力で金融緩和をする、だけどそれが財政規律をゆるませてはいけない、という分析や説明はした方がよいでしょう。いまの日銀は「その責任は私たちにはないので政府に聞いてください」という言い方です。しかし、日銀の政策が財政規律を失わせているという批判が少なからず存在する以上、それに真摯に向き合う責任が日銀にもあると思います。


安倍政権時代の補正予算の編成過程について

こうした問題歳出には経済産業省がからむことが多かった。なぜそうなのか。財務省はなぜ査定であっさり通してしまったのか。それは、一連の予算が官邸官僚と財務省主計局首脳ラインを中心に編成されたことと無縁ではなかろう。

補正予算編成にまつわる批判を一身に浴びたのは当時の主計局長、太田充(1983年入省)だ。千億円単位、兆円単位の重要予算項目について省内議論を飛ばし、1人で安倍官邸側と結論を決めてしまったからである。それもほぼ官邸側の「言い値」でだった。

太田のやり方はシンプルだった。経済対策を決めるに際し、まず経済産業省の筆頭局長である経済産業局長だった新原浩朗(84年入省)と、主要政策の規模や中身についてすり合わせる。

新原は内閣官房の要職も兼務するいわゆる「官邸官僚」の1人だ。安倍の右腕である首相補佐官、今井尚哉(82年旧通産省入省)の経産省の後輩で腹心でもある。新原の要求は「安倍官邸の意向」といってもよく、新原と握れば官邸と握ることにもなった。

新原も経産省内で独断専行するタイプだった。部下たちには相談せず、何事も1人で今井や太田と調整し、結論を決めてしまう。それを経産省に持ち帰って部下に指示する。

だから経産省の部下たちにもやはり不満がたまっていた。経産省の幹部や中堅官僚たちから「新原は部下の意見に聞く耳をもたない」「やり方が信頼できない」という評判をしばしば耳にした。

太田と新原のやり方は同じで、今井との間で合意した内容を省を持ち帰り、次官ら主要幹部に説明する。「官邸の了解ずみ」ということで押し通し、部下にはそれを前提に作業を進めるよう指示した。

財務省なら本来はまずそれぞれの担当主計官たちが担当する主計局次長のもとで、関係省庁と相談しながら具体的な予算編成を進めていく。それらをあわせて主計局長のもとで最終調整するのがオーソドックスな手順である。

太田のもとでは上意下達で次々と主要歳出の詳細を決めていく予算編成になった。このやり方だと、財務省内の議論が意味をなさず、その事業が本当に必要かを吟味するのは難しい。通常なら予算を付けるとしても、主計官やその下にいる主査たちを中心にいかに効率的な内容にするか、適正規模に抑えるかを考え、データや実態を踏まえて事業官庁側と何度も検討する。その作業の積み重ねにこそ主計局の存在意義も予算編成の意味もあった。トップダウンで決めるのでは、このプロセスを放棄してしまうことになる。

だからなのか、20年度の補正予算では予算成立後、問題が噴出するケースが目立った。担当省庁がよく把握しないまま予算が決まってしまったために、国会審議で野党から質問されても担当官庁の担当者が答えられないという場面をよく見かけた。

もしどうしても官邸からの予算要求の要望をのまざるをえないにしても、これまでの財務省であれば、別の条件闘争に持ち込んだはずだ。たとえば今回は巨額の借金だのみになるにしても、別に財政健全化の道筋を約束してもらうとか、「復興増税」のような仕組みを同時に検討して、長期的にバランスさせることをめざすとか、である。なにがしかの仕掛けを考えるのがこの役所の強みであり、したたかさだった。ところが太田流の官邸追従路線にはそれさえなかった。だから主計局の官僚たちは失望したのだ。


19年の初めのちょっとした事件について

年明け早々、財務省や旧大蔵省の事務次官OBたちと現役幹部との恒例の新年会が都心のホテルで開かれた。出席した歴代次官の最長老、吉野良彦(1986〜88年に大蔵事務次官、22年死去)があいさつに立った。かつて中曽根康弘首相に率直な批判を面と向かって言ったという勇ましいエピソードをもつ吉野だが、この会では例年、予算編成作業での後輩官僚たちの仕事ぶりをねぎらっていた。

ただ、この日は吉野があいさつを始めると場の空気が一気に凍りついた。吉野が近くにいた現役主計局長の太田を名指ししてこう言ったからだ。

「太田君も嫌々やらされているのだろうが、韓信の股くぐりにも限度があるぞ」

「韓信の股くぐり」とは、将来に大志を抱く者は屈辱にも耐える、という意味だ。そこで吉野が言わんとしたのは、消費増税の実現やみずからの次官昇格のためとはいえ、安倍官邸の言いなりになりすぎて限度を超えてしまっていないか、という太田への叱責だった。

当時、森友学園をめぐる文書改ざん問題で国税庁長官の佐川宣寿が辞任、セクハラ問題で財務次官の福田淳一が辞任と、財務省は不祥事続きだった。だから次官の岡本薫明(83年入省)としては、できるだけ省内に波風を立てたくないという心理も働き、同期の太田のやり方にもあまり口を出していなかった。

次期次官まちがいなしの要職にあって、官邸とも良好な関係を結ぶ太田に対し、省内で物申せる者はほとんどいなかった。そのなかで、しばしば異論を唱えたのが主税局長の矢野康治(85年入省)だ。財務省きっての財政健全化派として知られる論客である。

主計局と主税局の間で、あるいは各局内で意見が対立することはこれまでもしばしばあった。ただ、一度省内で決まったら不満は外に持ち出さない、というのが財務省の不文律である。そうでないと他省庁や政治家がつけ入る隙が出る。予算や税はきわめて政治的なテーマだ。組織として弱みを見せれば政治的な介入を受けやすくなる。

だが、太田と矢野の対立は外部にも漏れ伝わるほど激しかった。月刊誌などに2人の対立がゴシップ記事として書かれたこともある。一枚岩の強さを誇る組織がみずから力を削いでしまったようなものだった。

太田は財務省の本流である主計局中枢を歩んできた。頭が切れ、説明能力、交渉力、事務処理能力いずれもずば抜けていた。典型的なエリート財務官僚だ。その太田がなぜ伝統的な財務省のやり方に背を向けたか。そして官邸と結ぶ道を選んだのか。

次官エリートコーヅの必須ポストとされる官房長、主計局長への就任を、同期の岡本に先を越され焦って勝負に出たのでは、という見方もあった。本人はその間、総括審議官、理財局長を歴任。そのころから官邸への接触機会が目立って増えた。理財局では森友問題の国会対応に忙殺された。そのとき一気に安倍政権との距離が縮まったと見られる。

太田は、旧民主党政権の首相、野田佳彦の首相秘書官を務めた経歴がある。だからなおさらなのか、安倍官邸の信頼を得るにはよりわかりやすく貢献する必要がある、という思いもあったかもしれない。

太田が理財局長のとき、参院予算委員会で自民党議員の和田政宗が財務省陰謀論を掲げ、太田にこんな質問をした。「(あなたは)民主党政権で首相秘書官を務め、増税派だから、アベノミクスをつぶすため安倍政権をおとしめるために意図的に変な答弁をしているのではないか」と。これには太田が憤然とし、答弁で「いくら何でも」と3回繰り返して否定したこともあった。

もちろん太田が出世目的だけで官邸と結んだわけでもなかろう。かつての力を失った財務省が同省に不信感を抱く政権と強力していくための方便だったと見ることもできる。

太田は部下たちにこんな話をしていた。

「往時の財務省と、いまの財務省では政権・与党に対する影響力がまるで違う。それなら予算編成も毎年度、同じやり方を十年一日のごとく続ける時代じゃない。そのときどきの政権、環境に応じてやり方を変えていかないとだめだ」


安倍はもともと財務省嫌いで知られる。それどころか、23年2月に発売された『安倍晋三回顧録』でわかるのは、異常なほどの財務省への不信、猜疑である。


前財務相、麻生太郎の祖父でもある元首相、吉田茂は著書『回想十年』(中公文庫)のなかで大蔵省(現財務省)についてこんな一文を書いている。

「予算編成の都度、各省からの強請、強要、威嚇を厳重に阻止する期間がなくては、国家財政は破綻する。この機関は民主政治において最も重要な機関である。それが今日のわが国においては大蔵省である。為政者たるものは、かかる機関が厳としてその権威を保持するよう仕向けるべきである。閣僚もまた大蔵官僚の専門的知識より来たる意見は、虚心坦懐にこれを聴取する雅量を持たねばならぬ」

吉田の主張は現代にも通用する話だが、実行されるかどうかは時の政権次第ということか。安倍政権は吉田の想定になかったタイプの政権だった。「権威を保持するよう仕向けるべき」財務相に対して、むしろ権威を弱め、官邸の僕となる画策してきた。

財務相が財政健全化をまじめに主張し続けていたとしても、安倍政権下では何事も成就しなかっただろう。それでも財務相には理想を主張し続けてほしかったと思う。たとえ主張が官邸にはねつけられたとしても、少なくとも「はねつけられた」という歴史的事実は残り、財務省が抵抗しても実施されたバラマキ政策だということが国民の目にはっきり認識される。そこが大事なのだと思う。そうでなければ何が「正論」なのか、人々には判断するための座標軸がなくなってしまう。

それに政権の主張に沿って現実的な対応を繰り返しているうちにどんどん流されて、やがて、あるべき姿は何だったのかさえ見失ってしまうのではないか。

柳澤伯夫◉正論を吐かぬ主計局の責任は大きい

── アベノミクス、異次元緩和をどう評価しますか。

柳澤 (借金財政を支える)日銀の異次元緩和は(2018年時点で)5年たっても、黒田東彦総裁が掲げたインフレ目標を達成するにはほとんど効果を生み出せませんでした。リフレ政策がなぜ効かないかを解明することに経済学者はもっと力を尽くすべきでした。

我々の世代は単純化されたケインズ理論にかなり影響を受けていたかもしれません。故宮沢喜一元首相がそうでした。株価が下がると「政府が(株を)買えばいい」と言う。財政支出がオールマイティーだと思っていたみたいでした。あれほど頭のいい方がそう単純に考えるのが不思議でした。

大蔵官僚(現在の財務官僚)の責任も大きいと思います。かつては村上孝太郎、大倉真隆両大蔵次官のように強く警鐘を鳴らした立派な官僚もいました。1968年に事務次官に就任した村上さんは、初めて「財政硬直化」という言葉を使った人です。景気対策で実施された公共事業は一度始まるとずっとやめられない。「もっと柔軟に減らせるようにしよう」と運動したのが村上次官でした。大倉さんは1975年、主税局長になるとすぐ「減税」を主張する経団連に行って「景気を良くしても、これでは財政負担になる。だからできない」と大演説しました。

石原信雄◉「官邸の大番頭」が語る官邸と官僚

── 歴代政権はみなそれを認めてくれたのですね。

石原 …。大正デモクラシーのころね、当時の民政党と政友会が争って、政権交代のたびに役人の人事がガラガラと変わったそうです。あれが非常にマイナスになった、と当時を知る人たちから話を聞いたことがあります。


「強い政権」と見られていた安倍政権、菅政権ともに、コロナ危機のような有事になると実はそれほど強い政権ではなかったことが露呈した。なぜだったのだろうか。

「両政権とも"正規軍"政権ではなく、"ゲリラ軍"政権だったからです」ある官僚はそんな見方を示す。「ゲリラ政権は、平時の政策では玄人ずれしていない普通の常識を発揮して、省庁の縦割りを廃し、結果オーライになるケースも多々あった。しかしコロナという本当の有事に直面したら、省庁という正規軍もフル動員して総力戦にしなければいけなかった。それなのに、これまでゲリラ的な戦い方を続けてしまった。それが敗因の一つではないでしょうか」

このたとえは言い得て妙だ。ゲリラ軍は正規軍を倒すことに存在理由がある。安倍政権も菅政権も、官邸の指揮下にあるはずの各省庁を「敵対勢力」と見なすことがしばしばあった。『安倍晋三回顧録』にも、はっきり安倍の言葉で財務相への不信が記されている。

だが、そのような陰謀論を持ち出す前に考えてほしいのは、各省庁は政府内組織であり、官僚は首相の「部下」であるという事実だ。政権が政策のパフォーマンスをあげるために使いこなす「手足」である。国家全体、政府全体を統治する思想というのは、お気に入りの者たちだけを集め、別働隊を動かす発想とは本質的に異なる。

そこを理解しない安倍政権の異形の統治スタイルも、アベノミクスのような異形の政策が長きにわたって生きながらえた原因だったかもしれない。

水野和夫◉アベノミクスの本質は「資本家のための成長」

人口が多い国は一人当たりGDPが低い傾向があり、統計的には人口が1000万人を下回ると、一人当たりGDPが指数関数的に上がっていく傾向があるとして。

水野 それに比べて、中国やインドのように人口10億人超の国はみな貧しい。米国と日本、ドイツだけが人口が多いにもかかわらず一人当たりGDPが比較的高いのです。人口上位20位内で高いのは日米独だけです。スウェーデンの一人当たりGDPが6万ドル強と高いですが、人口はせいぜい1000万人強。それなら日本だって愛知県の人口は約750万人ですから、たとえば自動車産業をぜんぶ愛知県に集約して家族合わせて人口1000万人にすれば同じことができます。自動車産業の従事者500万人の「愛知国」を独立させたら、一人当たりGDPは6万ドルとスウェーデン並みになります。

人口1000万人の国なら得意分野に特化できます。たとえばITや金融、観光などです。韓国も人口約5000万人の国だからけっこう電機産業などに特化できたのです。でも日本では人口一億人で特化するのは難しい。ぜんぶ自動車産業に特化したら10倍の生産能力になるので、世界で自動車を作るのが日本だけになってしまう。そんなことは許されないでしょう。

小野善康◉デフレとは「お金のバブル」

── アベノミクスの10年とは何だったのでしょうか。

小野 まったく効果がないのに昔の経済理論がまだ通用すると思ってやって、案の定、失敗した壮大な実験でした。…。

結局、安倍政権のマクロ政策には、お金をどうやってばらまくかという視点しかありませんでした。金融でばらまくか、財政でばらまくかの違いだけです。マクロ政策で本当に大事なことは、どうやってお金を渡すかではなく、どうやって人(労働)を生かすかです。成長戦略も本来は需要の成長戦略が求められるのに、供給の成長戦略ばかりやっています。


── 小野さんが需要の力という点で国力があると見ているのは、欧州先進国ですか。

小野 …。日本の国力は今も落ちてはいないと思います。ただ、生産力のほうが力を持ちすぎています。政策当局がそのことをわかっていないから、もっと生産を強くしろとか、カネをばらまけばいいとか、そんな社会実験をアベノミクス以前から延々繰り返して、せっかくの生産力を活用できなかったのです。アベノミクスも結局その延長にあって、同じ失敗を繰り返しました。


小野がいう「資産選好」とはどういう概念か。

小野 人々が持つお金や資産そのものへの執着心のことです。従来の経済学では、株価が上がって人々の手持ちの金融資産が増えれば消費を増やすし、金融緩和で金利が低くなれば金融資産の保有が不利になるから、それでも消費を増やすというのが常識でした。ところが、もし人々がお金を持つことそのものに幸せを感じているなら、いくら手持ち資産が増えても消費を増やそうとはしないでしょう?これこそが現在の日本が直面している事態です。


── エコノミストや経営者たちは、停滞から脱するには「生産性向上こそが重要」と主張しています。生産性が日本経済の活性化のカギを握るのでしょうか。

小野 成長経済の時代ならそれにも意味がありました。効率的にたくさんモノを作れば必ず売れたからです。でも、今のようにモノ余りの時代になると、単に生産性を向上させるだけでは逆効果です。もし人出をかけずにたくさんモノを作れるようにしたら、モノは売れずに、雇用だけ減ってしまいます。

── それなりに、なぜ専門家たちは逆効果の政策を求めるのでしょうか。

小野 主流派である供給の経済学がそう教えているからです。作ったモノは必ず売れると考えれば、生産性向上が重要です。主流派には需要不足について考える専門家もいますが、物価や賃金の調整の遅れが原因という一時的な理由しか頭にありません。だからそれに対する政策を考えると、労働の自由化とか規制緩和とかになるのです。

一方、「需要の経済学」というと、需要不足には政府がお金を配ればいいという「乗数効果」や、金融緩和による為替誘導が有効だという学説「マンデル=フレミング・モデル」がしばしば専門家からも持ち出されます。これらの「旧ケインジアン・モデル」は理論上の欠陥を抱えており、すでに大学院や研究者の間では扱われていません。ところが大学の学部教育ではいまだに広く教えられています。その影響で政策論争がゆがめられています。

── たしかにアベノミクスの理論的支柱であるリフレ論者たちがよくマンデル=フレミング・モデルを持ち出しますね。


── 公共事業による財政出動をまたやれ、と言うのですか。

小野 道路や鉄道などの公共事業で需要をつくることが効果的だった時代もありました。でも人口減少時代の今は、巨大インフラが本当に必要かという問題があります。だからそれと別の使い道を考えないといけません。たとえば、音楽や美術、スポーツ、観光インフラなど民間企業では採算に乗りにくい分野で、政府が思い切ってお金を使う。そうすれば国民が自主的に消費を拡大したのと同じ景気刺激効果が生まれるはずです。

まだまだ供給が足りない保育、医療、介護などの分野、きれいな空気を提供したり、温室効果ガスの排出を削減したりといった企業努力だけでは実現が難しい分野も対象です。新型コロナウィルス感染では、医療の従事者や設備、保健所職員などの不足が深刻でした。日本全体でみたときに生産資源が余っているなら、平時から不足している分野にお金を使って生産資源が回るように準備すればいい。

どこにお金を使うのかを選択するのは国民です。どれほど魅力的な需要をつくれるのか、国民の知恵が問われていますし、それがGDPには表れない形で本当の意味の国力増強につながるはずです。


本書で指摘してきたように、安倍政治が破壊したものは財政や金融政策にとどまらない。政治から節度と責任感を追いやり、官僚組織や中央銀行の矜持を踏みにじり、日本の国家システムの根幹をかなり壊してしまった感がある。そう考えると、アベノミクスを単に経済政策としてだけとらえていては、真に私たちが抱えた問題を見誤ることになりかねない。

安倍本人は、アベノミクスとは「『やった感』ではなく『やってる感』だ」と言っていたそうだ。まさに空気や風潮をどう作るか、どう世論を作るのかに関心と本質があった。

要は、アベノミクスとは国家を率いる政権の「たたずまい」の変質を総称したものだったのではないか。政府の借金の大膨張も辞さない未来に対する無責任さ、批判的なメディアを排除し、記者会見で説明責任を果たそうともしない民主主義への不誠実さ、第二次安倍政権が全体として醸し出していた強権的な空気…。すべてを包含した言葉としてアベノミクスをとらえるべきだろう。