2023-10-23 22:38:00+09:00

『〝地形と気象〟で解く!日本の都市誕生の謎 竹村公太郎』

読書中であった

読書中であった。

〝地形と気象〟で解く!日本の都市誕生の謎 竹村公太郎

元国交省の官僚にして河川工学者が考察する日本史。

古代文明が奈良や京都に都して繁栄した地理的な背景は何かから始まり、 清盛の神戸、頼朝の鎌倉、秀吉の大阪から江戸時代の土木・都市開発等が 土木工学の眼から考察され、新鮮な指摘が多い。

過去の歴史において開発の影響で、山地に緑に満ちていた時代は実は多くないこと、 近年指摘されるようにはなってきたが、広重の浮世絵などからあらためて認識させてくれる ところ。

「縮み志向」ともいわれる日本文化の特徴を、 地理的特徴のため徒歩以外の交通手段が発達せず、 それに合わせたモノづくりを行なってきたことに求めるくだりは、なるほどそれはあるかも しれないと思わせる。

これと、災害が多いため、永続的な人工物を残すことに淡白であることを合わせれば、 ほとんど日本文化の特徴は言い切れるのではないかといいたくなる。

もっとも、一方で前方後円墳や出雲大社に代表されるように、意図を疑うような 巨大なものをつくりたがる傾向はそれだけでは説明できないか。

個別のトピックにおいては、違う視点を入れれば、ここに書かれているだけが原因でも ないのではと思えるところもあるが、現実の出来事は目的論的過程ではないのだから、 複合的な過程を織りなる起源の一つとしては充分考察に値する指摘とみなせることが 概ねである。

以下抜き書き。

中央の湖を自由に行きかう舟

古代の奈良盆地の地形

奈良盆地は、

  1. 安全
  2. 木材エネルギー資源があった
  3. 水資源が潤沢
  4. 水運があった

文明が誕生するために必要なインフラがすべて揃っていたという。

恵みの地は呪いの地へ

奈良盆地は安全、森林エネルギー、水資源そして水運に恵まれた「地形」で、 日本文明の誕生の地となった。 その同じ「地形」の理由で、奈良は捨てられることとなった。

飛鳥京、藤原京そして平城京を誕生させた恵みの奈良盆地は、 インフラからみると悲惨な呪いの地に変貌していたのだ。

佃島の謎

家康は北条氏の100年の支配下にあった江戸の漁師たちを信用できなかった。 わざわざ大坂から呼び寄せた史実が、 小名木川が軍事用水路アウトバーンであったことを示している。

戦国時代は禿山だった

講演の後、太田教授を捕まえた。 「戦国時代の関西は、禿山だったのですか?」と聞くと、そんなことも知らないのか、 という顔つきで「戦国時代だけではなく明治から昭和にかけても禿山になっている」 と教えてくれた。 その時代の禿山の写真もあることを教えてくれた。早速、その写真集を探し当てた。 その写真を見て驚いた。

明治から昭和にかけ日本列島全体が禿山であった。 その1つが(写真11‐1)の京都の比叡山の写真である。 あの神聖な比叡山が禿山になっていた。 なお、明治から昭和にかけて、日本列島のすべての山々が禿山であったことは 『全国植樹祭60周年記念写真集(国土緑化推進機構)』で掲載されている。

歩く日本人の細工と詰め込み

険しい地形と湿地帯のため、日本人は車を進化させなかった。 日本人の旅はいつも歩きであった。 船旅もあったが、それは金持ちの例外的な旅であった。

日本人の誰もが荷物を担ぎ、歩いていた。 その歩き回る日本人の価値観は「モノを小さく軽くする」ことであった。 モノを小さく軽くすることは、モノを担ぐ自分自身の命を救うことであった。

モノを細工して小さく詰め込む。 旅用具はすべて細工され小さく詰め込まれた。 旅の必需品のハサミ、刺ぬき、針、筆などが小さく袋に収納されている。

日本人たちは、細工されないモノを「不細工」と馬鹿にし、 詰め込まないモノを「詰まらない」と侮った。 縮めて詰め込むことは日本人の美意識までに昇華してしまったのだ。