2025-02-02 22:13:00+09:00
日 . HAZYな断章

ケインズのハイエク『隷従への道』評

断章──朦朧とした頭でよき社会秩序を妄想する

まともな日本再生会議:グローバリズムの虚妄を撃つ 中野剛志・ 柴山桂太・ 施光恒 』 にあったいくつかの興味深い論点の一つ。

1944年、ブレトンウッズ会議のためアメリカを目指す中、ハイエクから献本された『隷従への道』を 読んだケインズは、ハイエクに手紙を書き、そのなかで、

一般原則は君の言う通りだ、しかし君は、少しでも原則から外れるとまるで 「滑りやすい坂道」を転げ落ちるように全体主義へと向かってしまうと考えている点で、 自分の考えとは違う。「(ハイエクは)中道(ミドルウェイ)の可能性を過小評価している」

と書いたという(柴山による)。 それを受けて、中野は、

ケインズは自分のことを保守だとは思っていないでしょうが、 先ほどのバークから抽出された「便宜(エクスぺディエンス)」に即して言えば、 坂道を簡単に滑り落ちない中道があるという考え方が便宜というものです。 便宜を重視するというのが、習慣的に身を付けた大人の知恵、プラクティカル・ナレッジである。 このプラクティカル・ナレッジで政治を制御するしかないというのが保守主義なんです。 するとケインズは、実は、ある意味、保守主義的であり、一方のハイエクはそうではない。

と受ける。

ハイエクのような賢人でなくとも、このケインズの指摘には二の句が つげない思いをするものは多いのではないか。

一方で、ケインズのいうことはもっともだが、そのバークの「便宜」について、 ハイエクは後に批判する議論を展開しており、そこで、

便宜(エクスぺディエンス)をやっているとそのときはいいかもしれないが、 なしくずし的に自由を制限して歯止めがきかなくなる。 従って、一般原則(ジェネラル・プリンシプルズ)で 「自由というのは何がなんでも守らなくてはいけない、例外はない」と定めておく必要があるのだとする。

では、一般原則はどうやって見つけるのかとなると、理論によって見つけられるのだとする。 理論で制御できるから、政治はいらない。 これは、ある意味、合理主義的な発想です。 ハイエクは若い頃の『隷従への道』からそういう傾向があり、 ケインズ主義的な妥協も労働者の規制なども全体主義への「隷従への道」に見えてしまう。 その姿勢は潔癖なほどです。

と述べた(中野による)のも、けっして故なきことには思えない。

これを施は、

ハイエクには不思議なところがあって、ローカル・ナレッジを好む側面がありつつも、 法とか原理の次元になると、合理主義的になる。

というのだが、いやむしろ純粋に合理主義的であることのほうが稀で、 理論を好むとしても、いっぽうでローカル・ナレッジを無視できないのは当然ではないか。

その意味では人文社会科学的な理論にはそういういわば陰影が宿るものであり、 逆にいうとそのような陰影がない理論というのがあれば、 それはまさに空理空論ということになろう。

しかし、また翻ってケインズの意見を是とするとしても、プラクティカル・ナレッジにおいて 誤たないというのも、至難の業である。

しかも、それは理論化できない(であろう間違いなく)。

ケインズが「一般原則はその通り」と「中道の可能性」を同時に述べるとき、その困難は いかばかりかと思う。