2025-06-01 21:56:00+09:00

『ブラック・カルチャー 大西洋を旅する声と音 中村隆之』

読書中であった

読書中であった。

ブラック・カルチャー 大西洋を旅する声と音 中村隆之

「ブラック・カルチャー」と題するものの、主に音楽と筆者専門の文学の話題が主で、こちらとしては もちろん知りたいところである。

いわゆるワールド・ミュージックとして紹介されるアフリカの音楽、北米のブラック・ミュージック、 キューバやジャマイカ、ブラジル等の中南米の音楽を奴隷貿易の歴史を踏まえて統一的に捉える ことができるだろうという意図で「環大西洋」という概念を最近は意識的に頭にのぼせるように しているのだが、「はじめに」で早速まったく同様の視点が提示されて我が意を得たりの思い。

奴隷貿易、奴隷制の歴史を概観しつつ、いくつかの新しい概念や、馴染みのあるミュージシャンへの 多少角度を変えた見方を読むことができて興味深かった。

「アメリカス」という言いかたがあり、中南米を含めたアメリカ全地域を指すこととか。

Jazz Funk系のドラマーとして馴染み深い名前のアイドリス・ムハンマドはブラック・パワーの闘士として ムスリムに改宗・改名し、ユッスー・ンドゥールとともに演奏している、とか。

アフリカ由来の憑依系宗教の一つとしてCandombléが取りあげられていて嬉しかったが、一方で他の 憑依系宗教、Voodoo、Santeria、Macumbaの音楽は追いかけていなかったことに気づかされた次第。

さらには、Linton Kwesi Johnsonがクレオール語をベースにしたグリオの一変種といえるダブ・ポエット の一人であるというのは意外に気づかず、なるほどと腹落ちするとともに、 その先駆者とされるオク・オヌオラは聴いていなかったな、とか。

「環大西洋」の観点からいえば、一方でおそらくあったであろう、アメリカスからアフリカへの 音楽的ないわば逆方向の影響についてはまだこれからかという感も覚えた。

その中で、音楽的影響ではなく、具体的な「帰還」のドラマの舞台として紹介される ベナンやガーナ、ギニア、あるいは本書では言及がなかったようだが、リベリア等は、 むしろその音楽があまり取り上げられない気もして それも何か理由があるのか、そもそもそこにどういう音楽があるのか、 それも聴いてみないといけないとなった。

しかし、これを読んでもあらためて思うのは音楽とは個人のものではなくて、共同体のものであり、 優れた音楽はほぼその背景の共同体の存在を暗示するということ。

共同体の中で音楽を紡ぐことができないとすれば、どうすればいいのか、 例えばその共同体がない、あるいは失われた共同体がある、という状態で音を奏で、唄うことが できるのか、 あるいは、逆に音を奏で唄うということを欲望することがあるとすれば、 今は定かではなくともそれを続けることによって見えてくる共同体の姿がある、 と、考えることはできるのだろうか。

「共同体がない、あるいは失われた共同体がある」という状態はまさに奴隷としてアメリカスに渡った人々 の境遇であり、そこからまた新しい音楽は生まれたではないか、といわれるかもしれないが、 そこには、その状態のもとで新たな共同体を形づくる、つまり同じ境遇の「人々」が居たということ だから、我々が置かれた状態とはまた異なるように思えるのだ。


以下抜き書き。

1. 第三章 アメリカスに渡ったアフリカの声と音

アフリカ由来の精神文化

なかでもアフリカの文化的要素が強く残ったのが、 西アフリカでもとりわけ奴隷貿易が盛んだったベナン湾(フランス語読み。英語読みではベニン湾)の 沿岸部「奴隷海岸」から連れ出されていった人々のヴォドゥン信仰に代表される信仰や宗教思想でした。 この地域で捕虜となり売買されたフォン人、エウェ人、ヨルバ人たちは、 ハイチ、ニューオーリンズ、キューバ、ブラジルなどに多く連行され、 キリスト教と習合しながらアフリカ的要素の強い信仰を発展させました。 ハイチ、ニューオーリンズではヴードゥー、キューバではサンテリーア、 ブラジルではマクンバやカンドンブレと呼ばれます。 これらの宗教に共通する特徴は、儀式をつうじて精霊を降ろすことにあります。 精霊に憑依された人はトランス状態に陥り、精霊の言葉を人間に伝えます。 ヴードゥーにおける精霊はロア、サンテリーアとカンドンブレの精霊はオリシャとそれぞれ呼ばれます。 また、これは憑依型宗教にかぎるものではありませんが、 儀式には音楽とダンスが必ず伴われることも指摘できます。

ヴードゥーの儀式

ヴードゥーについては、二〇世紀前半から数多くの記録が民族誌、音源、写真、映像で残されています。 代表的なものをあげれば、一九三六年から三七年にかけてジャマイカとハイチを調査した アフリカ系アメリカ人の女性作家で文化人類学者のゾラ・ニール・ハーストンによる 『ヴードゥーの神々』(一九三八)があります。 また、ハーストンと交流があった合衆国のフィールド録音収集家のアラン・ローマックスが、 やはり一九三六年から三七年にかけてのハイチ調査旅行のさいに収集した ヴードゥーの儀式をはじめとするハイチ音楽の録音が現在では聴けます。

.

興味深いものとして、ハイチの女性歌手トト・ビサントのレコード 《トト・ビサントがハイチをうたう》(一九七七)が挙げられます。 これは奴隷制時代から伝わるヴードゥーの儀式歌を、単なるフォークロアではなく、 ヴードゥーが異なる民族間の共通の信仰となってハイチで生まれるその瞬間を捉えるという 意図のもとで制作されました。 ビサントはあたかも司祭のように、 太鼓のリズムに合わせたクレオール語の歌でもって数々の精霊を召喚し、 ヴードゥーの世界を音で再現していくのです(図3-1)。

2. 第五章 合衆国のブラック・ミュージック

アームストロングの声

ジャズはサッチモから始まると言われます。 その理由に挙げられるのは、このトランペット奏者の途方もない腕前に加え、 そのさまざまな音楽上の発明です。 集団的演奏のなかにソロ・パートを取り入れたこと、スキャットと呼ばれる唱法を導入したことなどです。 ジャズ史は主に新たな奏法や抜きん出た腕前の固有名詞によって語られるという意味で、 そのような語りを可能にした最初の人物がルイ・アームストロングだと言えるでしょう。

3. 第六章 アメリカスからアフリカへ

アフリカへの帰還

カウント・オジーやラス・マイケルのグループで知られる音楽ナイヤビンギは、 ラスタの儀式に由来し、アフリカとの結びつきを太鼓のリズムで刻みながら、 アフリカ帰還の精神性を表現します。

同じリズム、いくつもの歴史

ンドゥールは、ニューオーリンズで奏でられるタンバリンとドラムによるリズムのうちに、 故郷と同じリズムを認めます。 ンドゥールと旅と演奏を共にする合衆国のドラム奏者にしてムスリムに改宗・改名した ブラック・パワーの闘士アイドリス・ムハンマドは、 自身が一緒に育ったそのパーカッションのリズムを「故郷」だと言い表します。

4. 第七章 文字のなかの声

集団としての黒人の声の表現

引用符を用いて会話であることを伝える直接話法と伝聞調に伝える間接話法は一般的ですが、 小説では自由間接話法もよく用いられます。 この話法は話者の声が地の文のなかであたかも直接喋っているかのように示すものです。 たとえば、次の一節では、ジェイニーが正面のドアを出た場面から自由間接話法が始まります。

祖母はベッドに横たわって寝ていた。 ジェイニーは正面のドアから出た。 ああ! 梨の木にも──どんな木にだって花は咲くんだ! 口づけをする蜂は青春の始まりを うたっているんだわ! 彼女は一六歳だった。

クレオール語の口承性

これらの言葉は「クレオール語」と呼ばれ、 植民者たちと奴隷とされる人々のあいだのコミュニケーション手段として形成されたと言われます。 言語学的には、この新しい言語が次世代の母語として定着したものをクレオール語と呼び、 一代で終わって言語が再生産されない場合にはピジンと呼びます。

.

クレオール化によって形成されたこの話し言葉はカリブ海地域の言語文化の中心です。 とくにフランス植民地のマルティニックとグアドループ、一八〇四年に独立したハイチでは、 クレオール語が声の伝統を体現し、人々の歌、伝承、音楽の世界を担ってきました。 これは英語系クレオール語が発達したジャマイカなどでも同様です。

声の歴史

グリオの一変種といえるダブの詩人たち (オク・オヌオラ、マイケル・スミス、リントン・クウェシ・ジョンソン)は、 音楽とクレオール語をまったく切り離さないかたちの詩のあり方を発明しました。 たとえば、その先駆者オク・オヌオラの最初のアルバム《プレッシャー・ドロップ》(一九八四)は、 詩人による政治的メッセージを込めたクレオール語の歌、 コーラス隊と多様な楽器と音響効果が一体となって表現されます。

5. 第八章 奴隷貿易・奴隷制の記憶の光と影

構築される記憶

奴隷貿易がおこなわれていた時代、ダホメー王国の王都アボメーから、 捕虜たちは奴隷海岸と呼ばれたベナン湾まで連れて行かれたと言います。 この一帯はそうした奴隷制の記憶の場所であると同時に、 アメリカスに渡った憑依系宗教の原点となるヴォドゥン信仰の拠点でした。

奴隷貿易の闇

合衆国の女性作家・思想家のサイディヤ・ハートマンが その紀行的思索の書『母を失うこと』(二〇〇七)で問うたのはまさにこの問題、 すなわちブラック・ディアスポラの帰還地であるアフリカでの奴隷貿易において、 自分たちの先祖は実際にどのような経験をしてきたのかです。 一九九〇年代後半にガーナに滞在し、バラクーンの調査の過程でハートマンが感じたのは、 自分たちディアスポラとは、母のようにみなしてきたアフリカから見捨てられた孤児の境遇にある、 ということでした。 このことは、一九六一年から八年間ギニアに滞在した末に、 そこが自分の帰るべき土地ではなかったという苦い教訓を得た グアドループ出身の女性作家マリーズ・コンデの自伝を想起させます。

ハートマンが滞在したガーナは、一九五〇年代後半にアフリカ諸国の独立を牽引した重要な国です。 しかしそんなガーナにハートマンは甘い願望を一切抱かず、 一九九〇年代から本格化する奴隷貿易の記憶をめぐる観光業の発達に対し、 ガーナ政府が苦しい財政を立て直すための経済効果をねらってテコ入れしたことなどを冷ややかに記します。 そして、この記述の背後にあるのは、 ガーナ人から見れば、所診自分は経済的にも社会的にも恵まれた地位にあるアメリカ人女性にすぎず、 同胞や家族としては真に受け入れられないという他所者の感覚です。

6. 第一二章 未来に向けて再構築されるルーツ

クレオール化のダイナミズム

捕囚から逃れた人々がアフリカ内部で新しい共同体を築き直すという ミアノの『影の季節』の挿話が示唆するように、あらゆる共同体はクレオール化の現象を避けられません。 にもかかわらず、近代世界は純粋な共同体が存在するという虚構をつくりだしてきました。

この純粋性の虚構は、あらゆるものが混交を余儀なくされるアメリカスにおいては、 西欧からの入植者とその子孫が、みずからの純血性を維持するためにつくりだしたものだと言えます。 身中に黒人の血が一滴でも混じっていればその人は黒人だとする、 合衆国の人種差別の歴史を象徴する名高い「ワンドロップ・ルール」はその典型です。

このルールは、これほどまで徹底しないと純粋な白人性という虚構が破綻するという 混血の不可避性を逆説的に示します。 純粋性の神話を諦め、私たちの基本様態が〈関係〉にあることを率直に認めるとき、 私たちは世界の諸要素の混ざり合いを抑圧することなく捉えることができるようになります。