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『虚構の昭和史 海軍善玉論、石原莞爾名将論の陥穽』 保阪正康,戸高一成,大木毅

読書中であった

読書中であった。

大木 …… 「日本のシンドラー」として有名な杉原千畝も、実はスパイマスターとして働いていて、 むしろ、そちらがメインの職務だったのですが、ポーランドの情報機関とも密接に協力していました。

保阪 杉原千畝もマスコミに創られた英雄ですね。 今や押しも押されもしない美談の主になってしまいました。 もてはやされた最盛期には信奉者側に、「異論は許さない」というような雰囲気まであった。 その後、いろいろな資料が出て来て、さすがに美談だけでは世間に通用しなくなってきたようですが。

戸高 菅野賢治『「命のヴィザ」言説の虚構』(二〇二一年、共和国刊)など、いろいろな検証が出てきていますね。

戸高 陸軍大学校の教育は、明治時代前期から陸軍の大先生だったメッケル以来、 謀略主義が染み付いていますから、どうも物の見方が皆少し歪んでいるような気がします。

戸高 ……大井篤さんは「一人前の海軍士官になるには平時の海軍を二〇年」と言っていましたから。 二〇年はオーバーだとしても、 平時の海軍でのびのびと育たないと「ジェントルマン・オフィサー」にはならないということでしょう。 いきなり戦場に行かされれば、どんな人でも武張った人間になるのは仕方がないですよ。 大井さんぐらいまでの人は、皆々十数年は平時の海軍を経験しているわけで。

大木 大井さんのそれは、なかなか合蓄のある言葉ですね。 遠洋航海を始めとして、平時の海軍士官は外国に行くことが多い。 しかも、そこでは日本国民の代表として一種の外交官のように振る舞わなければならないわけです。 そのための教育訓練を受けているうちに、人間も磨かれてくる。

兵学校を出ていきなり戦いの場に放り込まれたのでは、それは荒っぽくなるでしょう。

戸高 黒島は作戦面に限らず、日常の業務も強引で自分勝手にやっていましたから、 周りの参謀はみんな、迷惑していました。 それでも、真珠湾の時の手柄があるから黙っていましたが、ミッドウェイで負けた。 これでプラス・マイナス・ゼロだという意識になり、 「あの変な奴は追い出したい」という参謀が増えたのでしょう。 黒島も居心地が悪かったと思いますよ。 しかしながら、戦後になってまで、国の大事な史料を破棄するなど、異常です。

大木 源田と黒島が特攻作戦の仕掛け人であるのは間違いありません。

戦後の長い間、特攻を立案した張本人は大西瀧治郎だと言われてきました。 最初に特攻を行った「敷島隊」「大和隊」「朝日」「山桜隊」の名称も現場で決めたことになっていました。 しかし、今では、それが覆されてきています。

大西が第一航空艦隊長官としてフィリピンに赴任する直前にもう、 それらの特攻隊の名称が、軍令部から打った電報にあったのです。

戸高 関行男を第一航艦直卒の二〇一空に配属した人事自体が、特攻実施が決まっていたことの証明になっています。 なぜなら、関はパイロットといっても元来艦上爆撃機のパイロットです。 それなのに戦闘機の部隊に配属されている。

特攻機で敵艦に体当たりすることを想定すると、それが分かる。 特攻機は、それこそ艦爆のように急降下で突っ込む作戦をやらされるわけです。 だから関の辞令が出た瞬間に、もうその時には、体当たり要員として見なされていた可能性が高いと思います。

戸高 渡辺安次は、その時に恐らく重大な役割を演じています。 まだ誰も来ないうちに、山本五十六の遺体に拳銃を打ち込んで、「機上戦死」という状況を捏造した当人だと私は思う。 山本五十六の死体検案書には「銃創がある」と記されていて、ゆえに「機上戦死」ということになっています。 しかし、そのこと自体がおかしいのです。

山本を撃ち落としたアメリカの戦闘機P38ライトニングが備えているのは一三ミリ機銃です。 一三ミリ機銃の弾が人体に当たったならば、銃創が残っているなどありえません。 当たった瞬間に体が両断するくらいの威力があります。

戸高 ……。 これまで、黒島の作戦が精緻な素晴らしい作戦といわれてきた理由は、 このような細かいところにまで気配りをした「ペーパー作り」にあったのです。 けれども、その気配りがきちんと実施されていたかとなると、話はまったく違います。

大木 真珠湾作戦の計画には、空母が被害を受けた場合には、 こういう処置を取って曳航するとか、細かい指示がたくさん入っています。 黒島が足したのでしょう。 連合艦隊司令長官の職掌からして、山本五十六はそういう細かいところまでは口を出さないでしょうから。

大木 秋山真之も、いわゆる変人だったとは思います。 けれども、秋山は連合艦隊の参謀になる以前、若い頃から一貫して「変人」だったわけです。 後世に印象づけるために奇矯な振る舞いをしたわけではない。

戸高 秋山真之が日露戦争後に、海軍大学校の講義の時に話していた内容が、残っています。 最後の生徒が山梨勝之進たちのクラス(一九〇七年卒業)です。 秋山の講義を直接受けた山梨は、 「秋山先生は、自分が日露戦争で貢献したのは、作戦ではなくてロジスティクスだと言っていた」と記録しています。

ロジスティクスも立派な参謀の仕事です。 秋山自身が、「自分は作戦では貢献できなかった」とはっきり言っているのは、恐らく謙遜ではありません。 日露戦争の時に、秋山も作戦はいくつも出しました。 しかし、それらがことごとく失敗しているのです。 もちろん他の作戦参謀たちと話し合い、アウトラインを決め、 加藤友三郎参謀長が承認して、東郷平八郎長官が決裁してという形で実施された作戦で、 失敗は秋山一人の責任とは言えませんが。

秋山は、自分の考えた「丁字数法」がダメ、「機雷作獣」もダメで、大事な作戦がすべてうまく行かなかった。 けれども、ロジスティクスの方に関しては、自分のプランがなんとかうまくいき、 連合艦隊では弾や燃料で困ったことはなかったと言っているわけです。 まだ頭がしっかりしていた頃に、きちんと言っているわけですね。

保阪 日本軍には海兵隊が無かったので、最初から陸軍が行っていました。 海兵隊が征服部隊でないということは、日本では知られていません。

戸高 海兵隊は海軍の戦闘要員ですから、 ここを取ったらその場所を占領するという意図は本質的にない、という概念です。

大木 海兵隊のもともとの起源は、帆船時代に、艦内の治安要員、警備要員として、 また接舷斬り込み時の戦闘要員としてできたのです。

やがて、イギリス軍やアメリカ軍が陸軍の協力を得ないで海外に行って戦う際に、 「あそこの砲台をつぶしたい」ということがあると、上陸・戦闘を担当するようになりました。

戸高 しかしながら、いわゆる陸軍的なセンスとは違います。 軍艦としての戦闘行為の範囲内ですから、政治的に領土的願望で作戦をしているということではないわけです。

大木 世界中にあるアメリカの大使館など、在外公館の警備をしているのがマリーンの兵隊なのは、 そういう歴史や性格があるからです。 陸軍のように、継続的な戦闘・占領を担当する軍種ではありません。

戸高 そういう前提があることを、国際的に共通認識として持っています。 だから、大使館の警備にしてもマリーンだったら許されますが、 アーミーが来たら「お前ら何だ」という国際問題になる。