読書中であった。
- 『 近代日本の対中国感情 なぜ民衆は嫌悪していったか 』 金山泰志
『小国民』(一八九四年一二月一日号)の「清人の面目」という記事では、 連行されてきた捕虜の中国兵に対し、日本の子どもたちが「チャンチャン坊」と 巡査憲兵の制止もきかずに怒鳴っている様子を「カアイらしき敵愾心の発頭なり」と誉め、 「本邦人は、大人となく小児となく、一般に愛国心の強きこと斯く如くなるに、 翻って清国人を見る時は、実に笑止に堪えざる者あり」と指摘する。 子どもたちが使用する「チャンチャン坊」などの蔑称が可愛らしい敵愾心の発露として、 また愛国心の強さの一端として好意的に評価されている。
当時、中国へのネガティブな記事で誌面を埋め尽くすことは、 その雑誌が愛国心溢れるメディアの証明であり、 読者が投稿などで中国人への蔑称を使用するのも、愛国心の強さの証明だった。
戦前の少年雑誌は、小学校教育の補助的役割を担い、教育的価値があるという点も、 実際に購買する読者の親たちへの重要なセールスポイントだった。 古典世界の中国人への眼差しは、大人向けのメディアのみを扱っていると見逃しやすい。 実際、少年雑誌の教育的要素の強い記事には、 孔子や論語に代表される古代の中国の偉人や漢籍が題材として扱われることも多かった。
特に日清戦争前の少年雑誌では、その傾向が強かった。 たとえば、『三国志』の英雄としていまなお人気を誇る関羽や張飛について、 『小国民」(一八九三年九月三日号)では「忠烈」の土として詳しく紹介する。
……
先に紹介した、同時代の中国人=清国人との差は一目瞭然である。
古典世界の中国偉人への肯定観は、日清戦争の影響によって肯定から否定へと転換することはなかった。 あくまで憎むべき敵国は、同時代の中国=清国だった。
日清戦争中の『小国民』(一八九四年一二月一日号「教育幻灯会」)では、 「諸葛孔明も、顔真卿顔杲卿も、文天祥も、遠き昔の話にて、 只今では、清国四百余州四億万人を、鐡の草鞋で探しても、忠勇賢明の将校は一人もいない」と、 古典世界の中国偉人と同時代の中国人を分けて捉えている。
重要なのは、当時男女それぞれに求められていたあり方の違いだろう。 たとえば、『少年世界』の発刊の趣意には 「日本帝国を双肩に担うべき、我少年諸君は、 今より大に剛健雄大の気象、克己忍耐の徳性、明截透徹の智識を発揚せんことを要す」とある。 つまり、少年は将来の戦争の担い手としての立場を期待され、戦争に慣れ親しむことは必須事項だった。
また、そのような立場から、他国への侮蔑感は、敵愾心の強さ=愛国心の強さの証明として、 あるいは男らしさとして、許容されていたと考えられる。 先述した「日米戯戦」という記事では、 「泣く児をチャンチャンとあざけり、弱き児を清兵とさげしみし」行為を 「尚武の思想をあらわし、敵愾の心に富める」と称賛していた。
一方、少女の場合、『少女世界』(一九〇一年一月号「少女のカ」)では 「少女が少年のように荒々しい性質をもって、威張り散らすようになっては困ります」 「少女は何処までも少女らしく、温順、貞淑、優美の性情」を備えなければならない、と記される。
また、言葉遣いも「優雅」にして「粗野らぬ様」心掛けることが肝要と説かれる。 貞淑を求められる少女らしさ、あるいは愛らしく振る舞う少女像を追及しようとした場合、 たしかに蔑称を叫びながら敵愾心を露わにすることは違うだろう。 そのためか、露骨な中国人蔑称は少女雑誌では見ることはない。
重要なのは、日本人のプライドの問題として、あるいは日本の国益を損なうという間題意識からだが、 「侮蔑感情はよくない」「中国とも仲よくしていこう」という考えが、当時存在していたことだ。
第一次世界大戦中の一九一五年一月一八日、対華ニ十ーカ条要求を日本政府は提出した。 これは、さらなる中国内での権益拡大で中国政府への政治・財政・軍事顧問への日本人採用など、難題が多い要求だった。 中国は反発し、日中関係はさらに悪化の一途を辿る。 日本国内ではその懸念から「日中親善」についても議論されていた。 『日本少年』でも次のような読者投稿が確認できる。
「排日の原因」兵庫県 有本二郎
運動場の前を一人の支那人が通る。 周園の土手は見るまに生徒で黒くなった。 散髪のはよく見るが、弁髪しているだけに皆が珍らしがる。 『ヤーイ、ちゃんちゃん』 誰かが、こうどなった。 続いてワーワーと云う声が起って生徒の群はひとしきりどよめき立った。 彼の支那人は後を向いて、僕等をキット睨んだ。 生徒は調子に乗って後からやかましくどなる。 支那人の心中、察すべきである。 六年生の時習った唱歌に、『彼を排する行いなくば、我を排する想いも消えん。』 とあった。排日の原因は此処にあるのだろう。
(『日本少年』一九一九年一二月一日号)
日清戦争中であれば、愛国心に富んだ行動として称賛されていた生徒の行動が、 この時代には同世代の少年からも疑義が投げかけられている。
この投稿への編集者のコメントにも「お互に深く自ら誠めねばならぬ」とある。 では、『日本少年』がネガティブな対中感情の蔓延にストップをかけるような誌面作りを行っていたのだろうか。 答えを先に記せば、「NO」である。 次に見るように、読者を楽しませる題材の多くに、ネガティブな対中描写が確認できる。 綺麗事だけで雑誌は売れなかったからだろうか。
戦後の国民的アニメ「サザエさん」の原作者・長谷川町子の漫画「こわいのは支那兵」(一九三八年一月号増刊)にも、 「支那兵」を描いた作品がある。長谷川が田河水泡に師事していたことはよく知られる。 中国兵が鬼の仮面を被って、同胞の子どもたちを驚かそうとするが、鬼の仮面では子どもたちはまったく怖がらない。 拍子抜けして仮面を外すと、 中国兵の素顔を見た子どもたちが「あッ支那兵ある/にげるよろし」「こわいあるよー」と言いながら、逃げ出す。 中国兵は自国の子どもたちにすら嫌われているというメッセージが込められている。
日中戦争勃発の数カ月前、日中間の緊張関係が高まるなかで、 『少年倶楽部』の編集部は読者に次のようなメッセージを送っている。
日本では昔も今も孔子の教を尊んでいます。 支那の偉人である文天祥とか孔明とかは、皆さんの教科書にまでのせられて、その徳をたたえられているのです。 これに反して、支那の教科書は、底なしに日本を悪く書きたてています。 どちらが正しいか、どちらが立派なやり方であるかは、いうまでもありますまい。 このねじくれた相手の心を、強い力と情とで叩き直し、真の友情に目ざめさせるのが日本のつとめです。
(「編期局だより」一九三六年一一月号)
反日教育を具体例として、日本への抵抗を強める中国への苦言を呈した文章だが、 日本では敵対している状況にあっても、儒教や中国偉人を尊敬していると、日本人の度量の広さと結び付けている。 ちなみに、当時の日本の教科書に中国偉人が教材として取り扱われていたのは事実だが、 同時代の中国に対するネガティブな記述も当然存在した(「大正・昭和期日本の中国教育と民衆の中国観」)。
……
太郎 支那はどうしても孔孟の昔のりっぱな支那に立帰らせねばならないと、学校の先生もいわれましたよ。
小父 さうだ。そこが一番大切なところだな。 それについて一つの面白い話がある。 徳川時代の孔孟の数が盛んだった頃、山崎闇斎という学者が、 もしも今、日本へ支那から大軍が押しよせて来るとして、 それを率いる総大将が孔子で、副大将が孟子だとしたら、 我々はこれに対してどうすればよいかと、弟子にたずねた。 するとい並んだ弟子達が一人も答えられなかったというのだ。 これは、その時分の日本国中に、いかに孔孟の教というものが、 しみこんでいたかを知らせる面白い材料だといっていい。
ところが今日は逆に、日本から孔孟を生んだ本場の支那に向かって、 孔孟を大将とする正義の軍が押しよせたと同じなんだ。 日本としてこのくらい支那のためになる立派な行はほかにあるものじゃない。 孔孟の国へ孔孟の数を布きに行ってやっているんだ。
(中略〕支那人を治めるには、一つの正義、 言いかえれば日支両国民に共通の道徳で行うのが一番良い方法だ。 つまり、これからの日本は、 どこまで孔孟の教をふりかざして孔孟の国をよくすることが出来るかを試験されているようなものだ。
古典世界の中国・中国人は、近代日本を通しポジティブな評価の傾向にあったが、 その日本人の「親しみ」「敬愛」すら、戦争を正当化する道具と化していたのである。
ここまで見てきたように、少年雑誌などから読み取ってきた大衆の近代日本の対中感情は、 大きく分けると「同時代の中国へのネガティブ感情」と「古典世界の中国へのポジティブ感情」だった。 もちろん、数量の傾向であり例外がないわけではない。
筆者は以前、大学生に世論調査を模した対中感情のアンケートを行ったことがある。 同時代の中国については、感覚的に嫌う学生がいる一方で、 「三国志』などの伝統的な中国文化は好きといった学生がおり、 対中国感情の二面性は、現在にも通ずるものだと考えている。 この仮説には戦後との比較検討が必須であるが。
本書で、あらためて強調したいのは、 近代日本における中国・中国人が、日本人にとって息の長い「娯楽コンテンツ」だったことである。
近代日本人は自分にとって都合のよい、されるがままのおもちゃの人形のように、中国・中国人を消費してきた。 戦時中は、戦争プロパガンダのなかで、敵愾心を煽り戦争へ向かう熱を高める役目を負わされた。 平時でも、小説など創作物の引き立て役である悪人として舞台に上げられた。 あるいは、子どもたちの「嘲笑」の対象として滑稽に描かれ続けた。 一九世紀末の日清戦争以降、中国人は日本人にとって身近な外国人であるとともに、 中国人に間違われること、中国人役をさせられることに嫌悪感を抱く、そのような存在となった。