読書中であった。
- 『 古墳時代の歴史 』 松木武彦
公孫氏から魏へと、倭の属する先が替わったのである。 さらに、「南」の狗奴国との対立に際し、卑弥呼は魏から軍事的な後援を受けた。 魏としては、「南」の狗奴国が敵対する具に面したところにあるとみて、 両者が結ぶのをけん制していた可能性があるだろう。
鉄素材そのものは、北部九州大地方圏には、 これにさかのぼること約三〇〇年前の紀元前一世紀ごろから本格的に流入している。 その普及が紀元後になっても東方の各地方圏になかなかおよばなかったのは、 「漢──(楽浪)──北部九州(漢倭奴国王)」の外交軸がまだ健在で、 鉄を軸とする物資の流通にも一定の統制がかかっていたためと考えられる。 二世紀の末から本章で述べた三世紀にかけて鉄がいっきに東方に普及した背景には、 後漢が衰退し、楽浪も公孫氏が支配するようになって、 こうした統制がゆるんだという事情があった可能性が高い。 このころからにわかに、瀬戸内や近畿の氏族長たちの手元に中国の鏡がもたらされるようになるのは、 北部九州の「大株主」(白井二〇〇一)たちの仲介は受けながらも、 鉄の生産地に影響力をもつ公孫氏に近づき、先進的文物をより自由な立場で享受できるようになった結果であろう。
北部九州の中心部である福岡平野や糸島平野からやや西に外れた海岸部に築かれた 一貴山鉄子駅(墳丘長一〇三メートル、福岡県糸島市)は、 竪穴式石室の中に三角縁神獣鏡八面を含む一〇面の鏡を並べ、ヤマトとの関係をうかがわせる。 ただし、このような例は北部九州大地方圏ではごく少なく、 四世紀も終わりに近づいてくると今度は横穴式石室という、 ヤマトとはまったく別の世界観に根ざした古墳の営みへと距離を置くようになっていく。